301 経絡原型論

2014年12月10日 (水)

体温調節の比較生理(入来正躬1980)

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図1.体温調節機構のブロック図案      

  • 変温・外熱性動物の体内温も、恒温・内熱性動物と同様に一定の基準値に調節されている
  • 恒温・内熱性動物でも変温・外熱性動物でも体温調節機構の基本的なパターンに本質的な差はない
  • 心・血管系の反応は、恒温・内熱性動物と変温・外熱性動物で共通してみられる唯一の自律性反応である
  • 熱放散は、発汗、あえぎと共に、皮膚血管の収縮・拡張によりおこる皮膚温の低下・上昇によって調節される
  • 恒温・内熱性動物では寒冷刺激により皮膚血管は収縮して皮膚温が低下し、熱刺激により皮膚血管は拡張して皮膚温が上昇する。陸棲のは虫類でも同様に温刺激で皮膚血管は拡張し、冷刺激で皮膚血管が収縮する

表1.Endotherms哺乳類・鳥類とEctothermsは虫類・魚類の体温調節機序の特徴

体温調節系 恒温→内熱 変温→外熱
動 物 種 哺乳類 鳥類 爬虫類 魚類
 行動性調節
 自律性調節  産熱化学機序 代謝レベル
 ふるえ
 褐色脂肪
放熱物理機序  血管運動
 立毛
 発汗・蒸散 
 温度受容系(器)  皮膚
 脊髄
 視床
 温度調節系  神経

水棲動物である魚類でも同様に皮膚血流の温刺激による増加、冷刺激による低下がみられる。脊髄を選択的に加温・加冷すると皮膚血流は増加・減少する。
皮膚血管の温度刺激に対する反応は、恒温・内熱性動物でも変温・外熱性動物でもすべて同一方向である。
      
「水中に棲息する魚類にみられる皮膚血流の生理的意義については今後引き続き検討していき」 と記したこの入来らの研究対象の魚類が、いわゆる硬骨魚類であって、サメやエイなどの軟骨魚類でないことに注意。
軟骨魚類の体温調節機構、特に皮膚血管機能が知りたいところ。
      
デボン紀から石炭-二畳紀に起こったヴァリスカン造山運動の一億年の間、水陸両棲の生活を強いられ「上陸」の一歩手前で海に引き返した硬骨魚類の祖先たち が、水中とは違って寒暖差が大きな陸地の大気に曝された「体験」を経た証拠が、彼らの子孫たる魚類(硬骨類)の皮膚血管の振る舞いに残されているのではな いか。浮き袋が、空気呼吸体験の「入れ墨」であるように。
そしてこの皮膚機能は、サメなどが棲息できにくい寒冷帯の海でも生き抜く術を彼らに与えたということではないのだろうか。
  • 温度刺激による心血管の反応と、これを支配する交感神経系の反応は統一的ではなく、非均一性地域性反応が惹起される。
  • 一般に体表部と対内部では血流および交感神経活動性の反応が逆方向となる。即ち温刺激では皮膚血流が増加し、皮膚交感神経活動性が抑制されるのに対し、体内部の血流は減少し、内臓・心交感神経活動性は増加する。冷刺激では逆の反応が起こる。
三木成夫の「上陸の形象」「ニワトリの四日目」「内臓循環と体壁循環が不倶戴天の間柄」の項とピタリと照合!
温度馴化機能の高度化が生物種の「寒冷期進化」であり、四季昼夜と(海中と比べ)大きく温度変化する大気中に暮らす動物たちのこの温度馴化の統合機能を「経絡(狭義)」として捉えうること。
非均一性地域性反応こそが、経絡経穴の特異的反応性の根拠となりうること。    
  • 変温・外熱性動物の自律性温度調節系としては現在のところ血管調節のみが存在するものとされており、体温調節における血管調節系のモデルとして有用な可能性をもっている。
経絡(狭義)についての基礎的生理学な研究は、カエルなどの両棲類が最適かもしれないということ。金魚の経絡治療は、奇をてらうものではなかった!のかも知れない。

( 2003/03/25 )


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腸管論からみた蔵象経絡

◆経絡の起源
系統発生:
脊椎動物の上陸の過程(古生代中期カレドニア造山運動の1億年の間)で、水中から大気中という激しい温度変化に対応する機構として、内臓循環と体壁循環は巧妙な相反性調節により自律的な体温調節機構を獲得したのではないか。

個体発生:
ヒトでは受精後32日~38日、ニワトリでは3.5日~4.5日の間に「上陸劇の再演」が演じられる。つまり、この時期は、胎児の循環統合系に劇的な変化が起こり、アクシデントが起こりやすい不安定な期間となる。 (三木成夫「不倶戴天の間柄」)。

◆腸管論 植物系の原器:
全ての内部臓器・器官組織は、腸管の派生物である。 動物系の意味:体壁は、腸管を包み保護し、運ぶ、腸管の下僕であった。

( 2003/03/24 )

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治療の政治学

 中井久夫は、個性的で優れた精神科医がいわゆる人文全般の達人であるの例に漏れず、専門分野からギリシャ詩の翻訳まで非常に幅広い多くの著作を成している。ウイルス学を出発として精神科の臨床医となり、舶来の体系や権威にすり寄ることもなく、また、東洋観念に和合することもなく自らの感性で道を拓いてこられた。

 例えば、統合失調症患者の過剰とも言える感受性を「心のうぶ毛」という言葉で表すのは、医学者である前に、病むことの可能性のうちにある一人の人 間(おそらく気質的には、心を病むことに非常に親和性が高いのかも知れない)として「心を病む」ことをつきつめた者のオリジナルな洞察力があればこそであ ろう。教養あるいは知の収集家たる大正教養人の末裔を思わせる中井のエッセイは、教養の深さは言うに及ばす、治療(家)の本質を考える上でも多くの示唆に 富んでいる。

 ・・・内分泌系も自律神経系も、免疫系と同じく「高度に政治的な」行動システムを持っている。これらの間をいそがしく調節しているのが、どうやら脳らしい。

 このような政治的システムが完備するのは、硬骨魚類からであるらしい。ふつうのお魚とサメやエイの諸君との間には深くて暗い溝がある。こちらでは急にすべてが単純になる。これも連絡者としての脳の問題だろう。

 われわれの治療は、多く、この身体の政治学的状況にわずかばかりの変更を加えようとするものであった。ちょっと皿を傾けるほどの介入であったかもしれぬ。

 治療においては、病気の側にも一種の疑似政治学がある。治療は、治療に伴う反作用を避けつつ、基本的には、病との絶えざる妥協であり、その妥協の結果、病を最善の形で経過させることが治療の政治学である。

 治療には士気の維持が大きな要素である。治療においても同様である。特に慢性の病において。  治療の政治学においても、古代ギリシャのごとく、テュラノス(僭主)やデマゴース(扇動政治家)が横行しがちである。(中略)しばしば現状維持が最良の選択である。

 しかし、政治学なしですませることができるか。いささか平凡な結論であるが、目的と価値とを以て現実と相渉ることが治療である限り、治療は政治学 なしでに済むまい。薬といえども、それの働きに「賛成」する心の準備なしで強制的に飲ませられるのと、「賛成」して飲むのとでは、必要量も、薬効も大いに 相違する。そもそも政治学なしに病人の口まで持っていけるか。

 現実と相渉る学としての政治学は、徴候を読む知である。三日前の足跡を読む。このような知に市民権を与えたのは、カルロ・ギンズブルグであり(『神話・寓話・徴候』)、やや遅れて中村雄二郎である。シャーロック・ホームズの学である。

 しかし、徴候解読は読み損なうと妄想に近づく。政治学は絶えず固定観念を外へとくみ出さなければなず、この点からも、体系にはならないという結論になろう。
    治療の政治学 『 家族の深淵 』 みすず書房

  引用が長くなってしまったが、ここで取り上げたかったのは、内分泌系も自律神経系も、免疫系と同じく「高度に政治的な」行動システムであり、この政治的シ ステムが完備するのは、硬骨魚類からである、という部分だった。ただ、この「政治学」についての短い警句に含まれている叡智は、治療家たる我々にも共通し た必須事項と考えられ、ここに紹介しておくのも意味があろうと思われる。

 政治学とは、徴候を読む知であり、現実と相渉る学である。生きて社会生活を行いつつ病む人は、実験室で生かされている動物でないことはもちろん、 理論的に再構成される生化学的な物質過程でもない。人の現実とは、森羅万象であり総体であり全体である。複雑な生態系としての人の現実と相渉る術、それが 「高度な政治学」なのだろう。
 許されざる怠慢と許される危険のバランス、という政治学もある。

 わずか な副作用を恐れ、マスコミを信じ、代替療法・民間療法にはしるというのは、巨大なリスクを背負う。利益はそれに比べてほとんど得られない(肺ガン治療薬イ レッサへのバッシングに対して)。  完全なワクチンなどどこにもない。インフルエンザ死3200人の方にはいる確率が高いか、ワクチン副作用3.5人に入る確率が高いか。出荷本数に対する 死亡副作用はきわめて低い。 現実世界では危険性を天秤にかけ、どちらを取るかしかない。
    ( 世界標準の科学的医療の普及を唱える内科開業医 )

 確率論で語られる安全と危険、これも冷徹な現実政治学であり、はやりのEBM=エビデンスに基づく標準治療が目指す治療の政治学であろう。 

もっと矮小な政治学もある。大学病院財政を支援するための診療報酬の特例。経済的動機に基づく投薬や検査などへの寛容。

 病院から検査を増やすよう指示され、大量の薬や、しなくてもいい検査をしている自分に嫌悪する(税金で医療費がまかなわれている生活保護などでは特に)。ただ、医療関係者だって食べていかなくてはならない。
     (ある内科勤務医のつぶやき)

 これも現実政治学であるには違いない。
  では本物の政治はというと、例えば、様々な集団の利害と感情の錯綜するアメリカの国内政治、中東を巡る国際政治の困難を例にとるまでもなく、現実政治は介 入と妥協と傍観の難しい綱渡りである。そこでは、特効薬もワクチンも外科手術も非常に限定的な役割しかない。徴候を読む知が妄想となり固定観念となると、 冷徹な現実はしっぺ返しに重篤な障害を用意している訳で、ここで経験論は経験的確率ではなく冷徹な現実の壁、先験的な確率(つまりは五分五分の)によって 修正される。それが現実の政治ではある。
 イラク戦争によって死亡する米兵の数は、第二第三の貿易センタービルテロで死ぬはずの米国国民の数を下 回るはず、といった確率論などはもちろん主張されもしないし通用もしない(もっとも、広島や長崎への原爆投下は、本土上陸作戦によって失われるであろう米 兵の数を激減させる「効果」があるとの簡単な計算から導かれ正当化されたろうし、今でも支持されている死者の値段に差をつける論理である)。
 社 会の回復、統治秩序の成立がいかに困難かは、やはり社会自体も生態系であって、容易な介入が錯綜を増幅し社会成立を妨げることがありうることを示すもので ある。秩序の崩壊は早々とめざましく、その回復は遅々として目立たない(これは、内部秩序の崩壊もしくは不均衡に擬せられる慢性病の回復過程についてもあ てはまる経過である)。もちろん、イラク戦争の是非を問うているわけではない。

 人の社会もヒトの身体もやはり一種の生態系だから、介入と妥協と傍観の政治学が必要なのである。だから「医原病―医療信仰が病気をつくりだしてい る」や「医療が病いをつくる」などと病院化社会文明を批判するのは、科学的医療が喧伝される程に幻想化が進むことへのカウンターとして、つまりは政治には 対立勢力が不可欠であるという点からしても意味があることだろう。

 精神科医療に限らず、病い、特に慢性病や生活習慣病などすべからく心 身相関病である病いには、最小限の介入と妥協によって最善の形で経過させることが、治療の政治学であることは論を待たない。徴候を読む知である治療の政治 学からすると、確率論に依存することも矮小な現実に妥協することも党派政治レベルの話でしかないだろう。
 読み損なうと妄想に近づく徴候の知を絶えず固定観念の外へとくみ出し、体系ではない治療の政治学を手にするためには、権威や統計を疑い、自分の目と手、自らの感性を頼りに自分の言葉で考えるシャーロック・ホームズの学が必要なのだ。
(患者の声調も顔色も伺わず、検査結果を示すディスプレイから目を離さずまともな対面もせず、脈も取らず、科学的医療の信念の元に下される診断と指示に、徴候の知はあるのだろうか。)

 さて前置きが長くなった。これから本題である。
 動物とりわけ脊椎動物の自律神経系-内分泌系-免疫系は、「高度に政治的な」行動システムとして統御されており、この高度システムが完備するのは硬骨魚からである。サメやエイなどの軟骨魚類と硬骨魚類との間には深くて暗い溝がある(歳がわかるね!)。

  サメの研究書を読むと(もちろん著者はサメファンであろう。『サメの自然史』谷内透)、サメ類もまた高度システムを持っていることが解る。たまたま陸を目 指さなかった古代魚類の子孫の一系統は、深海で宿敵頭足類の攻撃から身を隠して出番を待ち、次第に海に完璧に適応していった。彼らは、卵胎生を獲得し、グ ループ狩り(つまり高度の情報処理能力を持ち)すら行い、海の食物連鎖の頂点の一角を成すに至った。上陸を考えも、トライもしなかったサメ類は、古代魚類 の正統を受け継ぐ海の王者なのである(三木茂夫)。

 サメ類にも、内臓はもちろん自律神経系も立派な脳もある。ある種の肉食性のサメは高 速で泳ぎ、奇網という血管網を持つことで水温より高い体温を維持できるらしい(つまり冷血とは限らぬ訳だ)。奇網システムは、哺乳類では末端の動静脈吻合 と体肢の伴行と表在の二系統の静脈系によって構成される対抗流熱交換機構(ヒートポンプ)として、その恒温性の維持機構の一翼を担っている(この機能が経 脈の実体の一部である可能性がある)。また、マグロやカツオなどの赤身の大型魚類(硬骨魚)も、その筋肉中には奇網システムを備えており、変温冷血の魚類 にはふさわしくない内熱温血の恒温性を部分的に獲得している(だから、トロは霜降り肉と同じ食味だし、シーチキンはまさしく海の鶏なのである)。

 「高度に政治的な」行動システム(自律神経系-内分泌系-免疫系)を完備した硬骨魚と、サメやエイなどの軟骨魚類の間にある暗くて深い溝とは、主に体壁と内臓の血管系の統御のシステムとして考えることができる。それは、体温調節の仕組みといってもよいだろう。

 海の王者サメ類の生息域は、主に夏の温帯までで、亜寒帯・寒帯では生きてゆけない。そこは硬骨魚類の独壇場であり、食物連鎖の頂点は海棲哺乳類のシャチや鯨の仲間などが占めることとなる。
 硬骨魚類と軟骨魚類の差は、もちろん脊椎を初めとした骨構造の質の差であるし、うきぶくろの有無であるし、腎臓や脾臓の独立である。
 地質年代デボン紀(4.1億~3.6億年前)、約1億年間続いたカレドニア造山運動と呼ばれる地殻変動の時代の太古の浅海で、汽水域に進出した古代魚類の一グループは、「進か、退くか、そこには一億年になんなんとする逡巡の日々」(三木成夫)を過ごし、骨質を変化させ、腸管の一部を空気呼吸器官とし、浸透圧調節のために腎臓を完全独立させた。骨質の変化は、造血巣としての骨髄腔を準備し、造血器(免疫器官)としての脾臓を腸管周囲から独立させた。
 そして最も注目に値するのは、大きな外界環境温度の変動に対処する「高度に政治的な」行動システムである体温調節系の実行器官として自律神経=血管調節を行う交感神経系を完備し鍛錬したことであろう。

  水の比熱を1とすると、土は0.25、空気は0.24。海と河川と沿岸陸地と内陸地、それぞれの昼と夜、夏と冬の温度変化がどれほどあるだろう。比熱も大 きく熱容量も大きく温度変化が極めて少ない海中と、熱しやすく冷めやすい大気と大地の温度変化の大きな陸地。昼夜で10度以上、夏冬で30度以上の大きな 温度変化のもとにある陸地で、生物が耐ぬくために必要な「高度に政治的な」システム(当然のことながら湿度=乾燥への対処もそれに劣らぬ重要素である が)、この大きな外界環境温度の変動に対処する「高度に政治的な」行動システム、つまり体温調節に関わる統御系の有無が、お魚とサメやエイの諸君との間の 深くて暗い溝なのである。

 逆に、最も温度変化が少ない環境は深海であり、この安定した温度環境に適応した生物は、生きた化石と呼ばれる ように太古の昔から「進化」の必要がなかったらしい(サメ類の祖先もここで待機していたらしい)。  もっとも、三木茂夫の衣鉢を継ぎ実験進化学を提唱される西成克成先生は、ある種のサメの陸揚げ実験を行い、血圧上昇や腸管による空気呼吸の出現を見たと いう。血圧上昇は、水中浮力による1/6Gから大気中の1Gのみかけ上の重力負荷に身体組織が曝されることに対抗するための生物反応であり、それには体壁 血管系を収縮させる実施と調節の系列が必要不可欠なのである。つまり、ある種のサメ君にも血管収縮神経=交感神経系が準備されていたと考えるべきなのであ る。

( 2004/02/02 )

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上陸前夜

◆原始魚類の進退条件
古生代および中生代の気候は、主に化石から推定されている。それによると、シルル紀(4.4億~4.1億年前)からデボン紀(4.1億~3.6億年前)にかけての気候が少しわかっており、古生代の大半は両極で氷がなく、今日より温暖であったらしい。

シルル紀には、オゾン層が出来て紫外線が遮られるようになり、大気中の酸素はほぼ現在の10分の1程度の割合になったという。緑藻類から進化した植物の上陸が始まった。陸上では光と酸素は十分だが、水不足と大きな温度変化にさらされるため、陸生の植物は陸上で植物体を支え、水を運ぶための維管束を発達させた。土壌の形成も進んで、デボン紀初めまでには、多数の陸生植物が地上で繁殖した。デボン紀に入ると、維管束植物類は大発展し、特に湿地に木生シダの森林をつくったという。

シルル紀~デボン紀にカレドニア造山運動と呼ばれる、約1億年間続いた大規模な地殻変動が起こっている。カレドニア造山運動は、陸地を拡大させた。海退が進み(浅海域の拡大)、気候は不安定になった。巨大な河川が出現し、広大な河口域によって淡水域と汽水域が拡大した。
 デボン紀は造山運動の最盛期で、乾期と雨期が交代し、より乾燥に適したシダ種子類も現れた。水棲の節足動物が上陸し、昆虫類が陸上に出現した。脊椎動物では、原始魚類から軟骨魚類や硬骨魚類が分岐し、さらに硬骨魚類から分岐した肺魚類が陸生化を始めたと考えられている。
 デボン紀末期には、肺魚類から分岐し、鰭を進化させた四脚で陸上をはい回る最初の両生類イクチオステガが現れた。

◆原始魚類の進路選択
水圧に抗した身体の仕組みを作るのは容易でないため、古生代の生物は浅海に集中して覇権争いをしていたと想像されている。
原始魚類は鰭も未発達で、海底をはい回る程度の運動能力しかなく、生態的地位=ニッチが重なるイカやタコの祖先にあたる肉食の頭足類との生存競争では、弱者として追い立てられる存在であった。
カレドニア造山運動による陸地の拡大と浅海域の拡大、巨大な河川の出現による淡水河口域の広がりは、同時に広大な干潟や湿地帯を生みだしその一帯に汽水域を広げた。
頭足類に追われる立場の原始魚類は、この汽水域に進出したと考えられている。ここに来て、原始魚類が汽水-淡水域で生きのびるためには、次のような難関をクリアしなければならなかった。

  ① 海水と汽水(塩分濃度が大きく変動する)と淡水の浸透圧差
  ② 雨期の大量の雨水流入や濁り、あるいは淀みによる水中の酸素濃度の低下
  ③ 同じ理由などで生じる水温の比較的大きな変動
    (淡水-汽水域は、海域に比べ大気条件の変動をより大きく受ける)
  ④ 海水中より大きな重力負荷(海水に比べ淡水では浮力が少ない)

そして、汽水-淡水域に進出した彼ら原始魚類は、これらの問題を次のような「はたらき」を獲得し洗練することで生きのびた。この「はたらき」こそが次のステップである上陸を導びくものとなった。

 A.腎臓による浸透圧調節
 B.原始肺による空気呼吸
 C.原始的な体温調節系
   1.代謝水準の向上
   2.内臓循環系と体壁循環系の相反的な統合機能 原始的な自律性調節
 D.硬骨による内部骨格系

海中では不可避である過剰な摂取カルシウムを、原始腎臓によってリン酸カルシウムとして排泄していた原始魚類は、やがて排泄物を皮膚の下に蓄積 し、それが骨板となって頭や体を守る「盾」を形作った。原始魚類は、淡水域に上がって発展進化し、その後多くのものがまた海に下っていったと考えられてい る。
何故初期の進化が淡水域で行われたのか。原始魚類が鰭を持った段階で頭足類(イカ・タコの祖先)などとの争いを避け、新天地を求めて川を溯るようになったのかも知れないという。

三木成夫は、この間の原始魚類の心情を想像して次のように語る。
「一億年の歳月はかれらに長い長い試行錯誤の期間を与え、その過酷の自然はかれらに絶妙の適応をとげさせることとなった。」
進か、退くか、そこには一億年になんなんとする逡巡の日々があった

( 2003/03/24 )

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三木生命形態学に魅せられ飽き足らぬこと 

◆ 「個体発生は系統発生を省略しつつ繰り返す」ゆえに、億の歳月がこもった
  生命記憶を個々の個体が保存している
◆ 四億年前の脊椎動物の上陸という一億年の歳月をかけた事件の事跡
◆ 「ニワトリの(受精卵の)四日目」、(ヒト胎児の)「受胎の日から指折り数えて
   三〇日を過ぎてから僅か一週間で、あの一億年を費やした脊椎動物の上
  陸誌を夢のごとくに再現する。」
◆ 微細形態から宇宙大への飛翔のスケール

◇ 上陸=水中生活から陸上生活に移行=を可能にした形態、あるいはその
  過程で結果した形態が、個体発生の途上で「入れ墨」として残されていると
  しても、その形態に要請された機能についての言及が少ないのは何故か?
◇ 形態の意味探求の方向性が地質年代的に大きく飛翔しているのに対して、
  ヒトの生物学としての医学に向かうことが少ないのは何故か?

( 2003/03/24 )

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絡(脈)と経筋と経脈

絡(脈):
最も古い層に想定される脈管外体液の循環動態を水の流れとして捉えた「絡(脈)」。
脈管の発生前も後も身体をその中に浮かべる体液の海、そ の海に行き交う潮の流れ、あるいは満ち引き。この身体を往還する体液の潮流は、太古の海が潮汐によって生命を育んだように、今も生物の最もプリミティブな リズムを刻み細胞の生を支えている。

経筋:
多軸多関節構造体としての脊椎動物の縦方向・長軸方向に連なる筋肉の連鎖のもっている、姿勢や位置、つまり静的・動的なアラインメントを保持・支持するための反射的連関的統合的な働き。
動物系-体性反射機構=姿勢制御系・静的動的アラインメントを成り立たせている多軸多関節制御系としての経筋。
この機能を利用した遠隔的あるいは局所的なアプローチを経筋診断・治療と呼べる。

経脈:
A:体幹や体肢の一定エリアにおける体熱管理的な仕組み 往流系と還流系の位相差反応差の利用
B: 体幹の脊髄断区における脊髄反射的な体壁と内臓との間の自律神経反射の働き
C: 全身レベルでの体熱管理的な合目的性をもった統合反応の働き
D: 間接的(熱量移動と血量移動に伴う)な内臓活動への干渉

植物系-自律系反射機構=温度制御系・体内温度恒常性を成り立たせている地域性をもった統合的血管制御系としての経絡。

内蔵と体壁、体幹と体肢、より内部とより外部、上半身と下半身、上下半側の反対側、中枢側と末梢側などの部位器官の間の脈管系の相反・相同的な反応性の系列を、「経(縦方向の本流)」と「絡脈(横方向の支流)」として認識する。
この系列の機能を、病の発生と養生の理論根拠とし、全身的あるいは局所的なアプローチを行うものを経絡診断・治療と呼べる。

経絡(狭義)は、過酷な大気中に棲息する陸棲動物が獲得した「内臓-体壁の二大循環の相反方向性」にその起源があるのではなかろうか。
( 2003/03/24 )

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植物性的と動物的について

◆豊穣な形態学
随分と前にMさんに勧められ、形態学者・三木成夫の唯一の生前刊行書であるという中公新書『胎児の世界』を読んでビックリしたことがある。
ビックリしたついでに当時購入できた三木成夫の著作を片っ端から買い込んで、積ん読していた。なぜ積ん読で熟読しなかったのか、と言えば、粘着するような・共感的世界が重たくてちょっと辟易したためだと思う。
同書のリズム論などは、我々「東洋」系の道の者にとってはお馴染みの陰陽五行説や経絡論に通ずるような印象があった。まだまだ若かったので辟易は仕方がなかったのかも知れない。
つい最近、機会があって積んどいた三木成夫の本を熟読玩味した。以前の辟易は多少残っているものの影は小さく、原形原理への希求の強さと深さに今更ながら感心している。

◆生命形態の始源 - 植物性と動物性 
約40億年前の原始地球ではメタン、硫化水素、アンモニア、水素などの無機物質が高温・高圧下で反応して有機分子がつくられ、鉱物表面で重合して高分子化し、紫外線が遮断された環境で細胞化したとされている。
原始生物は、それ自身で光エネルギーなどを用いて自分の躯体となり活動のエネルギー源となる有機物を合成する「独立栄養」体であったか、自分の体=有機物を自ら造らず他者の体(有機物)を横取りする「従属栄養」体であったかの論議があるらしい。
何れにせよ、この原始生物を始祖として、光合成などによる独立栄養を営む生物である少数の微生物と植物、その独立栄養生物を「食料」とする従属栄養生物である人間を含む全ての動物、菌類、多くの微生物が派生していったと考えられている。
従属栄養と独立栄養とは、とりもなおさず植物性と動物性につながる生物の原系区分となる事柄であるが、さらにこの原系区分は、あらゆる動物種にみられる肉 食種と非肉食種の分化という事柄にも相似的に貫かれている(一部の食肉植物の存在を考慮に入れれば、栄養の独立と従属の問題はあらゆる生物相にみられる原 理なのであろう)。

・・・古くから(動物の)「口-肛」の器官は、生本来、したがって、植物と共通した「栄養-生殖」の機能に携わるところか ら、それは「植物器官」と呼ばれ、一方(体壁を形づくる)「頭-尾」の器官は、上述のように動物だけに見られるところから「動物器官」と呼ばれてきた。こ うして、脊椎動物では、植物・動物両器官が、腹背に重なって体軸方向に細長く伸び、それぞれの入口-栄養門と感覚門-が頭部に、また出口-生殖門と運動門 -が尾部に開くという特徴的な体制が造られる。

・・・・・両者に共通した「栄養と生殖」の器官が、植物では、天地の方向へ”積み重ねられる”ように造られるが、これが動物では、水平方向に、しかも「感覚-運動」という新興器官のケースに”はめ込まれる”ように造られる。

「動物的および植物的 - 人間の形態学的考察」から
        三木成夫『海・呼吸・古代形象』うぶすな書院

一般に自律神経と呼ばれている血管や内臓諸器官を支配している神経系は、古くは植物性神経系と呼ばれた。言うまでもなく、この神経の支配(受容と 効果)を受ける動物における器官群は植物性器官なのである。「植物性」は、現在ではあまり使われなくなった用語となっている(現代では、体性系と自律系の 用語法が一般的である)。

 動物における植物性器官群は、
   ① 栄養物をとり入れる消化-呼吸系(吸収系)
   ② これを全身に配る血液-脈管系(循環系)
   ③ 産物を外に出す泌尿-生殖系(排出系)
 の三群に大別される。

この吸収-循環-排出の三つの過程に分かたれた「食と性」の機能は、植物の「栄養-生殖」と共通した働きとみなされることで「植物的」なわけである。植物状態や植物人間は、まさしく感覚-脳・意識-運動系といった動物性が欠落した動物生の状態としてそう呼ばれている。
このアリストテレスを祖とした「植物的(性)」「動物的(性)」の二分法による生物のとらえ方は、われわれ東洋の道では、それぞれ陰と陽に対応して概念化される(生物のみではなく万物の二分法であるが)。

陰陽という記号的象徴語は、一気にシンボル思考へと直結し、細かな考察を素通りがちであり、そこが東洋の思考の強みであり弱みとなっている。

「植物的(性)」「動物的(性)」の語は、体性系と自律系とされる近年の用語法よりはよほど自然に対する「思想」と「意味」を保持した豊穣さをもっている(そこが科学主義からすると意に染まないのだろうが)。

鍼灸の医学の根幹をなしている経絡を、植物系としての経脈と動物系としての経筋、原生物系としての絡(脈)として考えることはできないだろうか。
( 2003/03/24 )

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経絡原型論 はじめに

 これは、東洋医学鍼灸の理論的実践的な根幹をなしている「経絡」について、その生物学的な考察を試みるテキストである。

 当然の事ながら、いわゆる専門研究者でもない在野の一介の臨床家の戯言でしかないのだが、原理を希求する構想においては専門家も非専門家もありはし ないのだという確信はある。その志においては、かのゲーテの「植物メタモルフォーゼ」の構想と何ら異なるところはないはずである(才能と教養は別にしての 話だが)。

 一年生草本の変身変態に、宇宙と生のリズムを観じ、その考察に創作とかわることない力を注いだであろうかの巨人の希求の強さほどではないにしろ、四季に 呼び起こされ、情動に応じ、体表に投影され、また、体表から干渉を受けるであろうわれわれヒトの〈生理〉としての「経絡(狭義)」、それは、遙か四億年の 昔、原始魚類が水陸両棲の一億年の歳月をかけて過酷な自然に絶妙に適応し獲得した「上陸の形象」の一つではないか、という想念が私の心をつかんで離さない (三木のそれは、脾臓の独立を「形態進化・発生」上のエポックとしたものだが)。

 地・水・火・風の天然自然の四大を、気象条件として要約すれば、水と温度につきてしまう。しなやかで丈夫なケラチン表皮と鱗の発展系としての体(羽) 毛、コラーゲン真皮とが作る皮膚気候圏による断熱と、皮膚血管系の開閉による放熱、これらの自律性体温制御系は、寒冷期・新生代に勝ち残る動物の必須アイ テムではなかったろうか。温度馴化は、寒冷のみならず熱暑への対応でもある。血管の開閉による自律性体温制御系は、汗の蒸発気化による奪熱冷却の機能を加 味することによって、より高度で幅広い温度適応力を持つにいたった。もちろん、このような高度な生理機能を可能となるのは、高い代謝レベルの維持であり、 そのためには四室心臓-循環系によるロスの少ない全身循環系が前提であるが。

 温度馴化を可能とする体温制御系の重要な構成要素が皮膚血管系であり、その全身的でかつ地域的な制御を可能としている統合の系列を、操作的な概念として構築したものを「経脈」として想定することができる。

 広義経絡に含まれる「経筋」という概念は、もっと古い起源をもった系列である。それは、内骨格系動物としての脊椎動物の起源に同期するであろう。
 支持系としての骨格と可動性関節、駆動系としての筋肉、それを制御する情報系としての神経、これらがセットになることで、動物は動く物となる。動く物 が、目標に向かって身体をくねらせ動かすとき、あるいは、一定の姿勢を保つとき、支持系と駆動系は情報系を媒介として一体となって目的達成に向かう - 食に 向けて腸管を運び、繁殖に向けて性器を運ぶ。この一体となった系列を「経筋」として捉えることができる。それは、原始脊椎動物の尾の「動き」に始まり、四 肢の起源となる鰭の水をかく「動き」を中継とし、陸棲四足動物の上下相反する「動き」の中に典型をみることができるだろう。

 最も古い層に想定されるのは、脈管外体液の循環動態を水の流れとして捉えた「絡(脈)」である。脈管の発生前も後も身体をその中に浮かべる体液の海、そ の海に行き交う潮の流れ、あるいは満ち引き。この身体を往還する体液の潮流は、太古の海が潮汐によって生命を育んだように、今も生物の最もプリミティブな リズムを刻み細胞の生を支えている。

 月の潮汐は、24.8時間で2回のピークをもった生物の時を刻み、また、29.5日で2回のピークをもった月暦をめくる。太陽は、それを23.29時間の生活時間に補正し、二十四の節気に区分し、また、約30日の生活暦をつける。

 非常に微細かつ繊細なこの「絡」の流れとそのリズムは、おそらく気圧や温度変動に対応する心身不調の淵源としてなぞることができるだろう。

 こんな思いつきの空想を、しつこくたぐってみようと思う。

( 2003/03/24 )

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