501 医制など

2015年1月28日 (水)

医業類似行為解釈をめぐって③

(6)平成2年頃 『逐条解説』における「広義の医業類似行為」の発案

 平成2年(1990)2月に厚生省健康政策局医事課の編著で出版された『逐条解説 あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律/柔道整復師法』は、昭和63年の改正あはき等法/柔整師法の解説書である。この本の総説では、四業種の施術者の行う業務が、「いずれも医業類似行為に属する行為」云々との記載があり、また、逐条解説の12条の項では、

医業類似行為には、広義の医業類似行為と狭義の医業類似行為とに分けられる。広義の医業類似行為は、狭義の医業類似行為とあん摩、マッサージ、指圧、はり、きゅう、柔道整復など法律により公認されたものとをあわせた概念である。本条(12条)は、狭義の医業類似行為を行うことを禁止した規定である。

とあり、四業種が(広義の)医業類似行為の一部であるという解釈が示されている。

 ここに来て、四業種は「医業の一部」という特別例外的に規定される存在ではなく、四業種以外の行為名称であった「医業類似行為」に、当時の厚労省医事課担当者が発案した「広義の」の字句を冠することで、逆に「医業類似行為」包摂されるという皮肉な結果となった。

 この『逐条解説』以降、厚労省通知だけではなく内閣答弁などまでもが、「四業種は医業類似行為に含まれる」という解釈を「公式」見解として流布してしまうことになる。

 ただし、これはあくまでも所管担当者による「解釈」であり、あはき等法の条文それ自体は、「あん摩マッサージ指圧・はり・きゆう」と、」、つまり医業類似行為を明確に区別している。


(7)平成12年 茨城県の(賢明な)回答

 平成11年(1999)12月、茨城県保健福祉部厚生指導課は、「医業類似行為」に関する問い合わせに対して「広義の医業類似行為」流の解釈に基づいて回答したが、翌年11月には、「内容の一部に誤解を生じる点」があったとして法律条文に忠実な訂正回答を出した。
 この訂正回答は、禁止・処罰の対象となる「医業類似行為」についてのみ言及し、あはき等法免許資格者の立場については直接言及することが無いというものであった。この訂正回答の立場は、「医業類似行為」の解釈の難所を回避した賢明なものと思われる。         

○ 前回の回答
 あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律第12条中の「医業類似行為」とは、あん摩マッサージ指圧、はり、きゅう、柔道整復と療術等を併せたものを指すものと理解しております。

○ 訂正後の回答
 あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律第12条及び第13条の8の規定で、禁止・処罰の対象となる「医業類似行為」とは、医師法及びあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律に基づく免許資格を有する者がその範囲でする行為以外のもので法に基づかないものを指すものと理解しております。
平成12年(2000)11月28日 茨城県保健福祉部厚生指導課長


(8)「医業類似行為」解釈問題のまとめ

 あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゆう師及び柔道整復師の行う業務については、法律条文に従えば「医業の一部」であるにもかかわらず、平成2年の『逐条解説』における厚労省担当者「解釈」である「広義の医業類似行為」説が広く流布しているのが現状であり、この言説と現状を覆すのは至難だと思われます。

 「医師を中心とした医療制度」の外側に設けられたとされる「あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゆう師・柔道整復師」制度は、「医師を中心としないもう一つの医療制度(歴史文化の伝承と近代西洋とは異なった出自をもつ体系)」と定義することができます。

 この「制度外制度」である「あはき柔」業務が、保険医療制度に参入を認められている場合、つまり療養費として関与するに当たっては、医師の指導指示の下(同意の根拠)に入ること=「医師を中心とした医療制度」に従うことが規定・許容されており、このことからも制度外に位置している無免許・無資格の「医業類似行為」とは一線を画していることは明らかです。

 「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」の」は、医業類似行為をなす業者を指しており、同12条以下の数条文は、医業類似行為を業となすことの禁止または猶予を規定しており、届出の如何に関わらずこれらの行為を規制する法律であることを示しています。

 「あはき柔」業務が、「医業類似行為」であるか否かという解釈問題は、何らかの利益不利益をもたらす実質的な問題であるよりは、別次元の象徴的な意味をもっているようです。「医師を中心としないもう一つの医療制度(歴史文化の伝承と近代西洋とは異なった出自をもつ体系)」を「医師を中心とした医療制度」の立場では認めない、けれども完全に無視も出来ない、ということなのでしょう。  (了)

※ この文章は、平成26年9月4日に開催された、公益社団法人福岡県鍼灸マッサージ師会と関係行政担当者(福岡県、福岡市、北九州市)との間で開催された「関係機関懇談会」に筑紫が提出した資料に若干の加筆修正を加えたものです。文責は筑紫にあります。

 

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2015年1月10日 (土)

医業類似行為解釈をめぐって②

(3)昭和22年頃 あはき柔等営業法制定当時

 昭和22年(1947)1月に厚相諮問機関・医療制度審議会が設置され、直ちに出された「医療制度改正要綱答申」では、「医療を医師を中心として行われるべきものとし、それ以外の業務を禁止するべきであるとの方針」を表明し、おおよそ次のような内容の答申を示した。

 鍼、灸、按摩、マッサージ、柔道整復術、医業類似行為営業の取扱いについて ・・・・ これらの営業については、人体に関するものであるから、本来はすべて医学上の知識の十分な医師をして取り扱わせるのが適当であると考える。しかしながら、これらの中には、医療の補助手段として効果のあると考えられるものがあり、又科学的に更に究明せらるべき余地のあるものもあるので、これらについて差し当たり左記のごとく取り扱うのが適当であると考える。

一 鍼灸、按摩、マッサージ、柔道整復術営業者は凡て医師の指導の
  下にあるのでなければ、患者に対してその施術を行わしめないこと

  とすること。
二 鍼、灸営業については、盲人には原則として新規には免許を与えな
  いものとすること。
三 柔道整復術営業については、原則として新規には免許を与えないも
  のとすること。
四 いわゆる医業類似行為は凡てこれを禁止すること。

※ この答申の趣旨は、明治7年(1874)に明治新政府が発布した
   医制53条の内容そのままである。


  医制第53条の(4) 「 医師、産婆、鍼灸業者 」の項

   鍼治灸治ヲ業トスル者ハ内外科醫ノ差圖ヲ受ルニ非サレハ
  施術スへカラス、若シ私カニ施術ヲ行ヒ或ハ方藥ヲ與フル者
  ハ其業ヲ禁シ科ノ輕重ニ應シテ處分アルへシ

      

 この答申の考え方、特に一及び二に対して業界や視覚障害者団体の強い反対があり、一方であん摩等の施術が長い伝統をもち医療に一定の役割を果たしていることにかんがみ、政府はあん摩等四業種に限り医療制度の外側において制度的に認め、一方では、免許を受ける資格を相当引き上げ資質の向上を図ることとし、昭和22年12月、従来の按摩営業取締規則、鍼術灸術営業取締規則及び柔道整復術営業取締規則をあわせ、かつ医業類似行為に関する規定(これが「あはき等営業法」の「」の部分)をも含んだ「あん摩、はり、きゆう、柔道整復営業法」=「あはき等営業法」を制定した。

 この昭和22年の医療制度審議会の答申内容とそれに前後した業界の動きが、「鍼灸」業界では「GHQ鍼灸禁止令」や「GHQ旋風」と呼ばれているエピソードの元になっているようです。連合軍進駐軍下の日本では、既存のすべての法律よりもマッカーサー元帥を総司令官とする「GHQ=連合国軍最高司令官総司令部」が絶対的な存在であった、ということが強調されているわけです。
 しかし、答申の内容は、明治新政府が出した医制53条の内容をそのまま踏襲したものであり、近代医療制度の制度設計者の理想論が再燃しただけ、ということなのだと思われます。
「GHQ」を持ち出すことで、いかにも大きな外圧に抗した、という「伝説」が語られてきたようです。当然ですが、厚労省編纂本『医制百年史』では、「GHQ旋風」も「鍼灸禁止令」についても、その言葉も言及も全く見られません。

 この法制定の主旨は、①按摩・鍼・灸・柔道整復は、医業の一部として治療行為を許可する、②按摩・鍼・灸・柔道整復は、教育を高度化させ、国家試験を実施する、③医業類似行為についてはこれをすべて禁止する(経過措置として、届出により昭和30年末までの間は営業可とする)というものであった。

『営業法の解説』(S23.6)によれば、「醫業とは、醫の行爲即ち人體の疾病の診察治療等を業とすることであると解すれば、あん摩、はり、きゆう及び柔道整復等の行爲が、人體の疾病の治療を目的とする行爲である以上矢張り醫の行爲であり、これを業とすることは醫業に属することになる。」とあり、同法で四業種は「医業の一部」と考えられており、同法(改正法も含めて)の条文はこの文脈で立案されている(同書の著者らは「この法律に関しては最初から苦労を共にし、立案施行一つとしてその参画にならざるものはなく」と評された厚生官僚)。

 前述の通り、同じく昭和22年4月 ( 医療制度審議会の設置に前後して )、「柔道整復業」と「医業類似行為業」を法制化する下準備として急いで厚生省令で取締規則が定めたことを示したが、このことは、国(政府)が、医療制度改正要綱答申の内容の如何によらず、「あはき柔」業と「医業類似行為業」を一定要件を課した上で一括して法制化する意志を最初から持っていたことを意味しているものと考えられる。
      

(4)昭和25年と35年の厚生省医務課文書

 昭和25年(1950)2月の厚生省医務課長回答(医衆第97)では、「(あん摩、はり、きゆう、柔道整復等営業法第5条の「施術」は、あん摩、はり、きゆう、柔道整復の術を意味するが)これらの施術を業として行うことは理論上医師法第17条に所謂「医業」の一部と看做される。 2 然しながらあん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法第1条の規定は、医師法第17条に対する特別法的規定であり、(後略)」と明確に示されている。

 昭和35年(1960)3月の厚生省医務局長通知(医発247の1)では、「(最高裁判決は)医業類似行為業、すなわち、手技、温熱、電気、光線、刺激等の療術行為業について例示したものであって、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復の業に関しては判断していないもの」とあり、四業種と医業類似行為とが明確に区別されている。

  ※ 療術:東京府において戦前に定められていた医業類似行為に対する名称で、
   同業者の団体も「療術」「療術師」を好んで用いたと言われている。


(5)昭和40年代 戦後社会の再秩序化 -「医師を中心とした医療制度」の整備期

 医療制度改正要綱に基づいた「医師を中心とした医療制度の整備」は、あはき柔等営業法制定の翌年に始まる医師法・医療法の制定などを軸として始まり、昭和40年代以降の高度経済成長を原動力とした戦後社会の再秩序化の過程で充実発展した。
 制度の整備が進むにつれ「医師でなければ、医業をなしてはならない。」という医師の医業独占規定に例外は許されないとの考え方が強まったのも、ある意味で自然の成り行きであったものと推測される。

 このような事情は、「医行為」の定義を一般社会通念的に「医行為とは医学の原理原則を実際に応用する行為である」としていたことから、「医行為とは医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危険を及ぼすおそれのある行為である」といった医師の医業独占を強調する同義反復的な定義に意味が狭められるようになった事情と同様の流れだと思われる。

 このような流れが、四業種を「医業の一部」であるとした特別法的な規定や解釈を排除する機制として働いたものと推測され。この傾向は昭和40年代後半から顕著となり、四業種は「医業の一部」ではなく「医業類似行為(の一部)」であるという解釈が次第に広がっていく背景になっていたものと考えられる。

(つづく)

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2015年1月 6日 (火)

医業類似行為解釈をめぐって①

 あはき柔等営業法の制定時、四業種(あん摩・はり・きゅう・柔道整復業の四つの業種、以下同)は「医業の一部」との認識があったにも関わらず、なぜ「医業とは、医師が行う医業であり、あん摩、はり、きゅう、柔道整複等の施術は、これとは別な、その外側にある医業類似行為の範疇に入る」と大きくズレた解釈がなされるようになってしまったのか、この辺りの事情やこのようなズレが生じた理由について、厚生省医務局編纂『医制百年史』を参考に、歴史的経緯を辿りながら、少し長くなりますが考察してみます。

(1)あはき柔等営業法制定前史 - 戦前の事情

 明治7年(1874)、明治維新後の近代国家としてのわが国の総合的衛生制度の始まりとなる医制76条が発布される。
 医制第53条の(4)「医師、産婆、鍼灸業者」の項では、「鍼治灸治ヲ業トスル者ハ内外科醫ノ差圖ヲ受ルニ非サレハ施術スへカラス、若シ私カニ施術ヲ行ヒ或ハ方藥ヲ與フル者ハ其業ヲ禁シ科ノ輕重ニ應シテ處分アルへシ」と規定された。

 この規定は、「はり及びきゆうの施術を医師の監督下に行わせることとし、 これらの業務を近代的医学の管理下におこうというものであり、西洋医学採用という政府の方針の一つのあらわれとして注目される。なお、あん摩術及び柔道整復術については、医制はなんら規定していない。医制の規定のすべてが直ちに実施されたわけではなく、このはり及びきゆうの施術に関する規定を現実には施行されずに終わっている。」とあり、制度的な整備は伴っていなかったようである。

 明治18年(1885)、内務省通達「鍼術灸術營業差許方」により、はり及びきゆう術の営業許可及びその取締りは各府県に委ねられた。各府県では、この通達に基づいてそれぞれ取締規則を定め、免許鑑札を与えて営業を許可した。あん摩術営業については、中央からの通達はなかった模様である。

 明治44年(1911)、内務省令「按摩術營業取締規則」「鍼術灸術營業取締規則」が制定され、あん摩・はり・きゆうの施術に関する全国的・統一的な法制が初めて成立した。

 大正9年(1920)には、「按摩術營業取締規則」が改正され、附則においてフランスから入ってきたマッサージ術が規定されると共に、柔道整復術についての規定も付加されて柔道整復術が初めて法制化された。

 医業類似行為を業とすることに関しては、これを直接に規制する法令がなく、明治39年以後は、旧医師法に基づき無資格医業として取り締まれる程度のものについて取締りが行われ、明治41年以後は、「警察犯處罰令」の規定が適用された。

 昭和5年(1930)、内務省衛生局長による照会回答によって、医業類似行為を業とすることについては各府県においてそれぞれ取締りを行うこととなり、この回答に基づき、多くの府県では取締規則を定め規制が実施された。多くの府県では取締規則を定めたが、その内容は届出制、許可制等さまざまであり、取締りを行わない府県もあった。
 たとえば、東京府では、「療術行爲ニ關スル取締規則」(昭5 警命43)を定め、療術行為を「他ノ法令ニ於テ認メラレタル資格ヲ有シ其ノ範囲内ニ於テ爲ス診療又ハ施術ヲ除クノ外、疾病ノ治療又ハ保健ノ目的ヲ以テ光・熱・器械器具其ノ他ノ物ヲ使用シ若ハ應用シ又ハ四肢ヲ運用シテ他人ニ施術ヲ爲スヲ謂フ」と定義し、この営業を行う者は所轄の警察署に届け出なければならないことや、営業広告の制限、消毒の義務などを定めた。 
   

(2)終戦直後

 昭和22年(1947)、「日本國憲法施行の際現に効力を有する法令の規定の効力等に関する法律」により、従来の内務省令などの法律に基づかない規則については昭和22年末で効力を失うため、法律の整備が急いで進められた。
 内務省令であった「按摩術營業取締規則」「鍼術灸術營業取締規則」も昭和22年末で効力を失うため、同年末に向けての法律制定が急がれた。「按摩術營業取締規則」の附則として規定されていた柔道整復業も、昭和21年末に厚生省令「柔道整復術業取締規則」として制定された。
 さらに昭和22年4月には、厚生省令「医業類似行為をなすことを業とする者の取締に関する件」が公布された。これは、医業類似行為に関して、各都道府県に取締を委ねてきたことに対し、中央法令による法的根拠を与えることを目的としたもので、内容はなんら規定せず、単に形式的な法的措置として発令されたものである。

 「柔道整復業」と「医業類似行為業」に関する取締規則が、形式的であっても急いで制定されたのは、「あん摩、はり、きゆう」業「柔道整復業」と「医業類似行為業」(これが法律名の「」)を法制化する下準備として必要不可欠であったためである。

(つづく)      

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