違う見解
「日本人人質事件で日本政府が最初から救出する意図はなく見殺しにし、かれらが無惨な最期を遂げ」たとの言葉に驚愕しています。
ナチスの招聘を言下に拒絶したカタロニアの詩人と同じように、ISの無道非道との交渉の余地など有るはずがありません。
私は、涙すらうかべたというのが本当だとしたら、そのバカ指導者のアホさを嘆くだけです。
欺瞞に欺瞞で応じ、それを欺瞞で解釈する結果でしかないのがこのような言説だと、私には思われるのです。
悪が悪でしか無いのは、その悪が悪である事を自ら欺瞞しているからです。
交渉の余地などあり得なく、見捨てることが善でしか無くなっていることが、悪への戦いである事は自明であろうと思われるのです。
何故なのでしょうか。このようなボタンの掛け違い・・・・
ナチスの欺瞞を考えたことがありますが、彼らの悪がウソでは無く正義であるとして、彼らは何故に自らの身内にさえ欺瞞を強いたのか。
人倫の所以はどこにあるのか、という問い以前、モサドの欺瞞すら幼児的なのでは無いでしようか。
人倫の所以はそのような欺瞞とは無縁であるが故に、不問なのではないかと思われます。
様々な言説は無用としか言えない、そのような欺瞞の連続が、文明の退行としての人類の自然史として想定できますが、そのようなウソさえ「近代的」だと私には思われます。
そのような言説を紡ぐことに何の意味があるのでしょうか。
与那国住民投票は、「地政学的」なせめぎ合いの縮図だと思われ、どちらに属するかに正義はありません。
最後には、パワーバランスというリアルが残るだけでしょう。
善し悪しでは無く・・・・
彼の孤島の旧態の知的エリート諸氏の末裔たる自衛隊派遣反対派のリーダー医師の顔つきは無残でしたが、賛成派の叔父さんの脳天気も辟易でした。
争いの起源、人倫の由来、女性の地位向上と少子化、皆同じ回答を求めている人類史の課題ではないのかな、と考えています。
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