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2015年1月 8日 (木)

表現の自由?本当かネ?

悪の独裁国家K国の権力者を、「風刺」し「パロ」った「コメディ」映画とやらに、K国が怒って実力行使をした、と認定したA国は、実力行使の「制裁」報復を発動した。

「表現の自由」や「報道の自由」など、一見「高尚」な観念が振り回されてはいるけれど、そんなに高等な話だろうか。

ただただ、ほんと、単なる下品な「ポルノ」に過ぎない「作品」は、何処で発表・掲示・展示されても、何でも許されるのだろうか。

「エリザベス女王の情事」「ローマ法王の男色」「天皇の下半身」などをテーマに、「パロディ」が企画制作されたとして、それって「許されること」でしょうか。
ましてや、「アラー」を・・・・

と、ここまで頭の中で下書きしていたことが、フランスで実力行使を招いたようです。
(ずっと以前、イスラム関係の研究者だった日本人の大学教員が首を切られて殺された事件がありましたが、犯人はつかまったのだったかな。殺人が「悪」で犯罪なのは、同じ共同性の中に生きている共同体内部でのこと。「悪」だったり「敵」だったりすれば、何でもありで、「ヒーマン」は普遍的ではないのでしたネ)。

なんと、安部さんは、「表現・報道の自由」云々と言った記者会見を早速やったそうですが、よほどの身の程知らずでおバカですね。

現役の政治家を揶揄しパロった「風刺」にしても「限度」はあると思われるし、相手を「悪」と認定したら「何でもあり」と言うのじゃ宗教戦争をやりたがっているとしか言えないのではないかな。

お互いに寛容であるためには、お互いを尊重することが前提で、宗教戦争の教訓はキリスト教徒の間だけで成立する、と考えられているとしたら、本物の異教間の宗教戦争が終わることはないのじゃなかろうか。

ついでに
絶賛のラマラ女史、彼女の危うさって無いのかな、と思っていたらこんな記事。

「タリバーンによる学校襲撃の悲惨な結末:マララへの愚劣なノーベル平和賞授与が生んだ悲劇だ」
http://blog.goo.ne.jp/narmuqym/e/651a6cf10dbd7da8d2b97c5ff9652a30

こんな見方もあるということ。

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コメント

フランスや各国の一大デモが報道されている。
「ペンはテロに屈しない」と。
・・・・・???
テロはペンに屈するのだろうか?
報道は、一方で「21世紀の資本」の注目を報じたところだ。
なぜテロが起こるのかが欠落している。

投稿: solachi | 2015年1月12日 (月) 22時54分

solachiさん 時々ブログ覗いていますよ。楽しんでますね、人生(余生かな)。

デモの熱気は凄いように報じられていますね。
自由・平等・博愛が、信じられる価値として「信じられている」かどうかですね。

『21世紀の資本』の著者は、フランスの学者さんですが、規制のないままの「資本の論理」は格差を拡大して社会連帯の根幹を揺るがしている、そんな内容のようです(走り読みですが)。
1980年代以降、西ヨーロッパ、アメリカ(そして日本も)では新たな階級社会が現前しつつある、のだという訳で、より下層階級として位置づけられる移民(多くはイスラムの)の鬱屈が、文明の対立の火種を媒介としてメラメラと燃え広がりつつあるのかも知れません。

大デモの足音の前で、郊外の住人、大人達はただだひたすらに嵐の過ぎ去るのをじっと堪え忍び、自由・平等・博愛に救済されることのない若者達は、信仰と伝承文化にプライドの復活を夢見て密かに刃を研いでいる、そんな構図が想像されます。

フランスの文科相は、「表現の自由」にも「節度」がある、とインタビューで語っていたそうですが、「表現の自由」を守る「民主主義」万歳、「フランスの団結万歳」の大合唱の前では、虚しく消え去っているようです。

投稿: chi | 2015年1月13日 (火) 13時07分

「パリ大行進」にオバマもケリーも不参加だったワケ
『冷泉彰彦のプリンストン通信』第46号(2015/01/13)
http://www.mag2.com/p/news/4432

その奥にある本音としては「イスラム圏の広範な世論と和解したい」ということ、そして「その和解によってテロの時代を終わらせたい」という方針があったわけです。

そうしたオバマの政治姿勢からすれば、今回のパリでの「大行進」には「どうしても行かなければいけない理由」はないということになります。もっと言えば、「あえて行かない」ことで、自分は、そしてアメリカは「もう反テロ戦争の時代ではない」ということを示したいのだと思います。


Wポストが仏紙風刺画掲載 割れる有力メディアの判断
2015年1月14日 05時32分
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2015011401000718.html
【ワシントン共同】米紙ワシントン・ポストは13日付の紙面で、フランスの週刊紙シャルリエブドが発表した、涙を流すイスラム教の預言者ムハンマドの姿を描いた14日発売号の1面の画像を掲載した。ポスト紙がムハンマドを描いた風刺画を、オピニオン欄などを除く報道面で掲載するのは初めてという。

米主要メディアは同種の風刺画の掲載や放映の自粛を続けており、今後、議論を呼ぶ可能性もある。

同紙は記事で、宗教間対立を故意にあおるような作品は掲載しないとの編集方針を維持しているとしたうえで、シャルリエブド最新号の風刺画はそれに当たらないと判断したと説明した。

投稿: chi | 2015年1月14日 (水) 10時11分

「イスラムを侮蔑する風刺画、どこまで許される?」徳山喜雄
THE PAGE 1月13日(火)18時26分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150113-00000010-wordleaf-pol&p=2

この点で読売新聞1月12日朝刊の「緊急 論点スペシャル」はすぐれていた。

フランスの歴史人類学者のエマニュエル・トッド氏に電話インタビューし、次のようなコメントを掲載した。

「私も言論の自由が民主主義の柱だと考える。だが、ムハンマドやイエスを愚弄し続ける『シャルリー・エブド』のあり方は、不信の時代では、有効ではないと思う。移民の若者がかろうじて手にしたささやかなものに唾を吐きかけるような行為だ。ところがフランスは今、誰もが『私はシャルリーだ』と名乗り、犠牲者たちと共にある」

「私は感情に流されて理性を失いたくない。今、フランスで発言すれば、『テロリストにくみする』と受けとめられ、袋だたきに遭うだろう。だからフランスでは取材に応じていない。独りぼっちの気分だ」といまの考えと気持ちを吐露した。

投稿: chi | 2015年1月14日 (水) 17時44分

ローマ法王「表現の自由に限度」
NHHK NEWS WEB 1月16日 7時08分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150116/k10014723061000.html
フランシスコ法王は、「自分の母親が侮辱されたら反応したくなるものだ」とたとえ話を示しながら、「人の信仰を挑発したり、侮辱したり、笑いものにするべきでもない」と述べ、信仰に関わる場合、表現の自由には限度があるという考えを示しました。

アジア歴訪中のローマ法王、「言論の自由にも限度」
AFP=時事 1月16日(金)9時19分配信
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6146161
法王は、「神の名において人を殺すのは愚かしい」としながらも、「あらゆる宗教に尊厳」があり、何事にも「限度というものがある」と指摘して、「他人の信仰について挑発したり、侮辱したり、嘲笑したりすることはできない」という考えを示した。

これが表現の自由に値する作品なのでしょうか?
http://www.asyura2.com/14/kokusai9/msg/787.html

投稿: chi | 2015年1月16日 (金) 21時31分

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