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2015年1月

2015年1月28日 (水)

医業類似行為解釈をめぐって③

(6)平成2年頃 『逐条解説』における「広義の医業類似行為」の発案

 平成2年(1990)2月に厚生省健康政策局医事課の編著で出版された『逐条解説 あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律/柔道整復師法』は、昭和63年の改正あはき等法/柔整師法の解説書である。この本の総説では、四業種の施術者の行う業務が、「いずれも医業類似行為に属する行為」云々との記載があり、また、逐条解説の12条の項では、

医業類似行為には、広義の医業類似行為と狭義の医業類似行為とに分けられる。広義の医業類似行為は、狭義の医業類似行為とあん摩、マッサージ、指圧、はり、きゅう、柔道整復など法律により公認されたものとをあわせた概念である。本条(12条)は、狭義の医業類似行為を行うことを禁止した規定である。

とあり、四業種が(広義の)医業類似行為の一部であるという解釈が示されている。

 ここに来て、四業種は「医業の一部」という特別例外的に規定される存在ではなく、四業種以外の行為名称であった「医業類似行為」に、当時の厚労省医事課担当者が発案した「広義の」の字句を冠することで、逆に「医業類似行為」包摂されるという皮肉な結果となった。

 この『逐条解説』以降、厚労省通知だけではなく内閣答弁などまでもが、「四業種は医業類似行為に含まれる」という解釈を「公式」見解として流布してしまうことになる。

 ただし、これはあくまでも所管担当者による「解釈」であり、あはき等法の条文それ自体は、「あん摩マッサージ指圧・はり・きゆう」と、」、つまり医業類似行為を明確に区別している。


(7)平成12年 茨城県の(賢明な)回答

 平成11年(1999)12月、茨城県保健福祉部厚生指導課は、「医業類似行為」に関する問い合わせに対して「広義の医業類似行為」流の解釈に基づいて回答したが、翌年11月には、「内容の一部に誤解を生じる点」があったとして法律条文に忠実な訂正回答を出した。
 この訂正回答は、禁止・処罰の対象となる「医業類似行為」についてのみ言及し、あはき等法免許資格者の立場については直接言及することが無いというものであった。この訂正回答の立場は、「医業類似行為」の解釈の難所を回避した賢明なものと思われる。         

○ 前回の回答
 あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律第12条中の「医業類似行為」とは、あん摩マッサージ指圧、はり、きゅう、柔道整復と療術等を併せたものを指すものと理解しております。

○ 訂正後の回答
 あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律第12条及び第13条の8の規定で、禁止・処罰の対象となる「医業類似行為」とは、医師法及びあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律に基づく免許資格を有する者がその範囲でする行為以外のもので法に基づかないものを指すものと理解しております。
平成12年(2000)11月28日 茨城県保健福祉部厚生指導課長


(8)「医業類似行為」解釈問題のまとめ

 あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゆう師及び柔道整復師の行う業務については、法律条文に従えば「医業の一部」であるにもかかわらず、平成2年の『逐条解説』における厚労省担当者「解釈」である「広義の医業類似行為」説が広く流布しているのが現状であり、この言説と現状を覆すのは至難だと思われます。

 「医師を中心とした医療制度」の外側に設けられたとされる「あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゆう師・柔道整復師」制度は、「医師を中心としないもう一つの医療制度(歴史文化の伝承と近代西洋とは異なった出自をもつ体系)」と定義することができます。

 この「制度外制度」である「あはき柔」業務が、保険医療制度に参入を認められている場合、つまり療養費として関与するに当たっては、医師の指導指示の下(同意の根拠)に入ること=「医師を中心とした医療制度」に従うことが規定・許容されており、このことからも制度外に位置している無免許・無資格の「医業類似行為」とは一線を画していることは明らかです。

 「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」の」は、医業類似行為をなす業者を指しており、同12条以下の数条文は、医業類似行為を業となすことの禁止または猶予を規定しており、届出の如何に関わらずこれらの行為を規制する法律であることを示しています。

 「あはき柔」業務が、「医業類似行為」であるか否かという解釈問題は、何らかの利益不利益をもたらす実質的な問題であるよりは、別次元の象徴的な意味をもっているようです。「医師を中心としないもう一つの医療制度(歴史文化の伝承と近代西洋とは異なった出自をもつ体系)」を「医師を中心とした医療制度」の立場では認めない、けれども完全に無視も出来ない、ということなのでしょう。  (了)

※ この文章は、平成26年9月4日に開催された、公益社団法人福岡県鍼灸マッサージ師会と関係行政担当者(福岡県、福岡市、北九州市)との間で開催された「関係機関懇談会」に筑紫が提出した資料に若干の加筆修正を加えたものです。文責は筑紫にあります。

 

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2015年1月13日 (火)

医療介入のパラドックス

心臓病学会期間中、教育病院では高リスク患者の30日間死亡率低下という現象

心不全・心停止による入院といった高リスク患者では、教育病院において、米国国内心臓学会期間中の入院時、30日間死亡率低下する。
教育病院急性心筋梗塞高リスク患者は学会期間中、PCI施行確率少なく、そのことで死亡率へ影響もない。

こういった報告をみると、医者って何やってるんだと思う。待機的処置だけでなく、非待機的救急状態においても、医者が居ない方が予後がよいというアイロニー

病院がなくなっても幸せに暮らせる! 夕張市のドクターが説く、”医療崩壊”のススメ

医療崩壊のすすめ | Hiroyuki Morita | TEDxKagoshima ( 講演動画 )

市の財政破綻により市立病院が無くなり、街から救急病院が消えた夕張市。高齢化率45%のなか悲惨な現実が待ち受けるかと思われたが、結果はその真逆だった--。 死亡率、医療費、救急車の搬送回数、全てが下がったマジックの背景を、夕張市立診療所で院長を勤めた森田洋之氏が明かしました。

「病院がないほうが死亡率が下がる!」の関連資料を読んで リハ医の独白

一言でいうと、論者の説明不足である。一般聴衆向けには良いかもしれないが、医療関係者からすると情報量が全く少なく、いらぬ反感を招いたことはもったいない。

「過去50年の米国の医療費を分析した結果、医療費高騰の要因と考えられていた『高齢人口の増大』や『医師数の増加』などは、実は限定的な役割しか演じていなかった。その主犯は『歩みをとめない医療技術の進歩』であった。

夕張市の医療崩壊モデルを当てはめても日本の将来は救えない

夕張モデルが日本の将来を救うという主張ですが、現実はもっと悲惨なことになるのではないかと思ったので少し書いてみます。
「病院がなくなったから死亡率、医療費、救急車の搬送回数が減った」ことの原因として、「病院がなくなったから、病院に通院しなくてはいけないような人たちが転居して夕張市からいなくなり、その結果として死亡率、医療費、救急車の搬送回数が減った」という可能性が考えられるわけです。

医者が患者をだますとき

医者がストライキをするとどうなるか?

1976年、南米コロンビアの首都ボゴタ(現サンタフエデボゴタ)で、医者が52日間のストに突入し、救急医療以外はいっさいの治療を行わなかった。現地の新聞は、ストがおよぼした奇妙な「副作用」を報じた。ストの期間中、死亡率がなんと35%も低下したのである。国営葬儀協会は「この現象は偶然なのかもしれないが、事実は事実である」とコメントした。
同じ年、ロサンゼルスでも医者がストライキを決行した。このときの死亡率の低下は18%だった。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で医療行政を研究するミルトン・レーマ-教授が、17の主要病院を調査したところ、ストの期間中、手術の件数が60%も減少していたことが明らかになつた。そして、ストが終わって医療機器が再び稼働を始めると、死亡率はスト前と同じ水準に戻ったのである。

1973年にはイスラエルでも似たようなことが起きている。ストが決行され、診察する患者の数が1日65000人から7000人に減らされた。ストは1か月間続いたが、エルサレム埋葬協会によると、イスラエルでもストの期間中、死亡率が半減したという。イスラエルでこれほど死亡率が減少したのは、二十年前にやはり医者がストをしたとき以来だったという。

この現象について説明を求められた医者たちはこう答えた。「救急患者に限って診察したので、労力を重症患者の治療に集中することができたからだ」

問題は、医療介入の程度や軽重や是非が問われる以前に、人の「生・病・老・死」が、商売のネタとなり、資本の論理を背景とした『歩みをとめない医療技術の進歩』によるマーケットになっている現実が加速していること。
人々も、自らの「生・病・老・死」を外部化してしまいつつあるということではないか。

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2015年1月10日 (土)

医業類似行為解釈をめぐって②

(3)昭和22年頃 あはき柔等営業法制定当時

 昭和22年(1947)1月に厚相諮問機関・医療制度審議会が設置され、直ちに出された「医療制度改正要綱答申」では、「医療を医師を中心として行われるべきものとし、それ以外の業務を禁止するべきであるとの方針」を表明し、おおよそ次のような内容の答申を示した。

 鍼、灸、按摩、マッサージ、柔道整復術、医業類似行為営業の取扱いについて ・・・・ これらの営業については、人体に関するものであるから、本来はすべて医学上の知識の十分な医師をして取り扱わせるのが適当であると考える。しかしながら、これらの中には、医療の補助手段として効果のあると考えられるものがあり、又科学的に更に究明せらるべき余地のあるものもあるので、これらについて差し当たり左記のごとく取り扱うのが適当であると考える。

一 鍼灸、按摩、マッサージ、柔道整復術営業者は凡て医師の指導の
  下にあるのでなければ、患者に対してその施術を行わしめないこと

  とすること。
二 鍼、灸営業については、盲人には原則として新規には免許を与えな
  いものとすること。
三 柔道整復術営業については、原則として新規には免許を与えないも
  のとすること。
四 いわゆる医業類似行為は凡てこれを禁止すること。

※ この答申の趣旨は、明治7年(1874)に明治新政府が発布した
   医制53条の内容そのままである。


  医制第53条の(4) 「 医師、産婆、鍼灸業者 」の項

   鍼治灸治ヲ業トスル者ハ内外科醫ノ差圖ヲ受ルニ非サレハ
  施術スへカラス、若シ私カニ施術ヲ行ヒ或ハ方藥ヲ與フル者
  ハ其業ヲ禁シ科ノ輕重ニ應シテ處分アルへシ

      

 この答申の考え方、特に一及び二に対して業界や視覚障害者団体の強い反対があり、一方であん摩等の施術が長い伝統をもち医療に一定の役割を果たしていることにかんがみ、政府はあん摩等四業種に限り医療制度の外側において制度的に認め、一方では、免許を受ける資格を相当引き上げ資質の向上を図ることとし、昭和22年12月、従来の按摩営業取締規則、鍼術灸術営業取締規則及び柔道整復術営業取締規則をあわせ、かつ医業類似行為に関する規定(これが「あはき等営業法」の「」の部分)をも含んだ「あん摩、はり、きゆう、柔道整復営業法」=「あはき等営業法」を制定した。

 この昭和22年の医療制度審議会の答申内容とそれに前後した業界の動きが、「鍼灸」業界では「GHQ鍼灸禁止令」や「GHQ旋風」と呼ばれているエピソードの元になっているようです。連合軍進駐軍下の日本では、既存のすべての法律よりもマッカーサー元帥を総司令官とする「GHQ=連合国軍最高司令官総司令部」が絶対的な存在であった、ということが強調されているわけです。
 しかし、答申の内容は、明治新政府が出した医制53条の内容をそのまま踏襲したものであり、近代医療制度の制度設計者の理想論が再燃しただけ、ということなのだと思われます。
「GHQ」を持ち出すことで、いかにも大きな外圧に抗した、という「伝説」が語られてきたようです。当然ですが、厚労省編纂本『医制百年史』では、「GHQ旋風」も「鍼灸禁止令」についても、その言葉も言及も全く見られません。

 この法制定の主旨は、①按摩・鍼・灸・柔道整復は、医業の一部として治療行為を許可する、②按摩・鍼・灸・柔道整復は、教育を高度化させ、国家試験を実施する、③医業類似行為についてはこれをすべて禁止する(経過措置として、届出により昭和30年末までの間は営業可とする)というものであった。

『営業法の解説』(S23.6)によれば、「醫業とは、醫の行爲即ち人體の疾病の診察治療等を業とすることであると解すれば、あん摩、はり、きゆう及び柔道整復等の行爲が、人體の疾病の治療を目的とする行爲である以上矢張り醫の行爲であり、これを業とすることは醫業に属することになる。」とあり、同法で四業種は「医業の一部」と考えられており、同法(改正法も含めて)の条文はこの文脈で立案されている(同書の著者らは「この法律に関しては最初から苦労を共にし、立案施行一つとしてその参画にならざるものはなく」と評された厚生官僚)。

 前述の通り、同じく昭和22年4月 ( 医療制度審議会の設置に前後して )、「柔道整復業」と「医業類似行為業」を法制化する下準備として急いで厚生省令で取締規則が定めたことを示したが、このことは、国(政府)が、医療制度改正要綱答申の内容の如何によらず、「あはき柔」業と「医業類似行為業」を一定要件を課した上で一括して法制化する意志を最初から持っていたことを意味しているものと考えられる。
      

(4)昭和25年と35年の厚生省医務課文書

 昭和25年(1950)2月の厚生省医務課長回答(医衆第97)では、「(あん摩、はり、きゆう、柔道整復等営業法第5条の「施術」は、あん摩、はり、きゆう、柔道整復の術を意味するが)これらの施術を業として行うことは理論上医師法第17条に所謂「医業」の一部と看做される。 2 然しながらあん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法第1条の規定は、医師法第17条に対する特別法的規定であり、(後略)」と明確に示されている。

 昭和35年(1960)3月の厚生省医務局長通知(医発247の1)では、「(最高裁判決は)医業類似行為業、すなわち、手技、温熱、電気、光線、刺激等の療術行為業について例示したものであって、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復の業に関しては判断していないもの」とあり、四業種と医業類似行為とが明確に区別されている。

  ※ 療術:東京府において戦前に定められていた医業類似行為に対する名称で、
   同業者の団体も「療術」「療術師」を好んで用いたと言われている。


(5)昭和40年代 戦後社会の再秩序化 -「医師を中心とした医療制度」の整備期

 医療制度改正要綱に基づいた「医師を中心とした医療制度の整備」は、あはき柔等営業法制定の翌年に始まる医師法・医療法の制定などを軸として始まり、昭和40年代以降の高度経済成長を原動力とした戦後社会の再秩序化の過程で充実発展した。
 制度の整備が進むにつれ「医師でなければ、医業をなしてはならない。」という医師の医業独占規定に例外は許されないとの考え方が強まったのも、ある意味で自然の成り行きであったものと推測される。

 このような事情は、「医行為」の定義を一般社会通念的に「医行為とは医学の原理原則を実際に応用する行為である」としていたことから、「医行為とは医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危険を及ぼすおそれのある行為である」といった医師の医業独占を強調する同義反復的な定義に意味が狭められるようになった事情と同様の流れだと思われる。

 このような流れが、四業種を「医業の一部」であるとした特別法的な規定や解釈を排除する機制として働いたものと推測され。この傾向は昭和40年代後半から顕著となり、四業種は「医業の一部」ではなく「医業類似行為(の一部)」であるという解釈が次第に広がっていく背景になっていたものと考えられる。

(つづく)

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2015年1月 9日 (金)

追跡 横隔膜・・・・・

横隔膜の事を熱心に語っていたせいか、我が心の音楽の師・太田先生が「POWERbreathe (パワーブリーズ) プラス スポーツ を紹介されている、と勘違いしているような。

箱鞴(はこふいご)の「ピストン」である横隔膜について、自身の喘息と関連しつつ、生物進化と呼吸との関連で調べつつ考えていたところ、太田先生は、実践をしなさい、と啓示してくれているようです。

一昨日は、「重積」一歩手前で救急を呼びそうでしたが、何とか持ちこたえ(鍼灸師ですから安易に「薬」には頼らぬ、のがポリシーですから。とは言い ながら窒息しそうでした。)、翌日、漢方T医師の示唆も受けて頓服のステロイドで一服しています(β2作動薬も抗コリン拡張剤も、「生理」を狂わせる悪薬 と思うので一切不使用)。

この器具のことよく知らないのですが、「上手な咳の仕方」を構想していたので、ピンときたのです。
口を詰め、声帯の少し下の気管に意識を当てて、ピストン=横隔膜を一気に押しだし、気管の襞にこびり付いた「痰」を咽の上まで跳ね上げる、上手な「咳」のシューマです。

多分、横隔膜大王の太田大師には、この意味不明な文面の意味を理解して頂けるでしょう。我が痰のコレクション、どうでしょう先生!「痰の研究(1)」

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背筋が・・・・

ダブルスタンダード というか「民主主義」「表現の自由」のホントの姿・・・・
核兵器の引き金にさえ、指はかかっている。極めてリアルな感触として。

「表現・報道の自由」「民主主義の危機」といった、建前以前、「おまえの母ちゃんデベソ」との言われっぱなしを許さない、そんな健全に狂った人としての在り方は、有り得えるのではないか。

そんな、相互の「不寛容」が露出しているのではないか。

フランス事情じゃなく、ヨーロッパ、イスラムそして・・・・ なにか嫌な感じです。

何が起こっても不思議ではない、例えば「核のスイッチ」は私が押すんだよ、という滅びと天国とのアマルガム。そんな狂気、理解不能ではありませぬ私は狂っているのでしょうか?

異様な感触で胸騒ぎがしています。

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2015年1月 8日 (木)

Mさんからの返信

ブログ再開のお知らせメールを出したら、わが心の師Mさんから

> これはどうですか?
> http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40227

と、佐々木俊尚という「作家・ジャーナリスト」のインタビュー記事のアドレスが送られてきた。

Mさんの「これどうですか」は用心しないと危ないのです。褒めても、貶しても、その奥というか次というか、そんな謎かけがあったりして、時としてハシゴが外れてしまいかねないのです。

ですが、今回の佐々木俊尚さん、インタビューアーのO女史がいけないのかな。
この人、21世紀の「貧困」出自のプロレタリア作家? 無知じゃなかった苦学生の永山則夫ですか・・・
第一、「作家・ジャーナリスト」の肩書の人物なんぞが大嫌いな私って知っているでしょう、Mさんたら~

『21世紀の資本』を囓って、《21世紀の貧困》を考えてみる必要があると思っていたところでした。

Mさん、これって読む価値ありそうでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/wlj-Friday/20150106

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表現の自由?本当かネ?

悪の独裁国家K国の権力者を、「風刺」し「パロ」った「コメディ」映画とやらに、K国が怒って実力行使をした、と認定したA国は、実力行使の「制裁」報復を発動した。

「表現の自由」や「報道の自由」など、一見「高尚」な観念が振り回されてはいるけれど、そんなに高等な話だろうか。

ただただ、ほんと、単なる下品な「ポルノ」に過ぎない「作品」は、何処で発表・掲示・展示されても、何でも許されるのだろうか。

「エリザベス女王の情事」「ローマ法王の男色」「天皇の下半身」などをテーマに、「パロディ」が企画制作されたとして、それって「許されること」でしょうか。
ましてや、「アラー」を・・・・

と、ここまで頭の中で下書きしていたことが、フランスで実力行使を招いたようです。
(ずっと以前、イスラム関係の研究者だった日本人の大学教員が首を切られて殺された事件がありましたが、犯人はつかまったのだったかな。殺人が「悪」で犯罪なのは、同じ共同性の中に生きている共同体内部でのこと。「悪」だったり「敵」だったりすれば、何でもありで、「ヒーマン」は普遍的ではないのでしたネ)。

なんと、安部さんは、「表現・報道の自由」云々と言った記者会見を早速やったそうですが、よほどの身の程知らずでおバカですね。

現役の政治家を揶揄しパロった「風刺」にしても「限度」はあると思われるし、相手を「悪」と認定したら「何でもあり」と言うのじゃ宗教戦争をやりたがっているとしか言えないのではないかな。

お互いに寛容であるためには、お互いを尊重することが前提で、宗教戦争の教訓はキリスト教徒の間だけで成立する、と考えられているとしたら、本物の異教間の宗教戦争が終わることはないのじゃなかろうか。

ついでに
絶賛のラマラ女史、彼女の危うさって無いのかな、と思っていたらこんな記事。

「タリバーンによる学校襲撃の悲惨な結末:マララへの愚劣なノーベル平和賞授与が生んだ悲劇だ」
http://blog.goo.ne.jp/narmuqym/e/651a6cf10dbd7da8d2b97c5ff9652a30

こんな見方もあるということ。

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痰の研究

10年程前に軽い喘息を発症し、この時は半年ほど夜間の咳発作に悩まされるも、特に加療せず経過し自然寛解していた。

2013年9月頃より喘息再燃。時間帯限定での咳と喘鳴。対症的な鍼治で軽減。
手厥陰経の刺鍼で、直ちに「気管支拡張」感が得られることを強く実感!
(夜な夜なの発作時、フトンの中で刺鍼する図あり。)

2014年4月今までに無く「胸が塞がり、咳も出来ぬような」気管閉塞感に襲われる。SPo2最小は80%。この頃、呼吸器内科医を受診し、1週間のプレドニン内服、ステロイドと気管支拡張剤の粉末吸入剤(アドエア)、抗アレルギー剤を処方される。

気管支拡張は、鍼で対応できているのと、抗アレルギー剤も病態的に?なので(「気管支機能をバカにする」)不要と申し出て、ステロイド粉末(フルタイド)だけで3ヶ月継続してみることにする。
約2ヶ月フルタイド継続。時間帯限定の痰と気管狭窄感の発作は消長あるも続く。

発作出現の時間帯限定の時刻は、おおよそ 午後1時、6時、午前2時、4時頃。軽ければ自然経過1時間ほどで軽快。夜間の2時と4時前後は睡眠不足の原因ともなるので、手厥陰経の刺鍼でほぼ30分以内に軽快していた。

実は、日に10~15本の喫煙は完全には止めず、状態次第でプカプカ続けていた。
(完全に治癒したら治験にならぬ、というのが言い訳でもありました。ホントに苦しいときは、流石にほんの一時だけは止めても、のど元過ぎたらまた復活の連続なのでした。)

2014年、近所に出来た内科(漢方をよく勉強していて、なかなか謙虚な若手の医師)を受診し漢方エキス剤の処方を受ける(小青龍湯+麻杏甘石湯+附子)。これは2週+3週飲んでみたが、ほとんど無効だったような・・・・

以前から「痰」の性状(見た目・粘度・味など)に興味をもって内心観察していたが、2014年11月頃より、フトというかやっとというか思いついてデジカメ写真を撮ることにしたのでした。

最初は手持ちのスマホで撮ったのですが、接写に優れたと触れ込みのデジカメを別途購入してみました。

けれどこれが失敗。接写用のレンズ周りについたLED照明が、喀出した標本の「痰」をセットした少量の水を浸したガラスシャーレーに映り込んで邪魔なのでした。
結局、htcバタフライのスマホカメラはそこそこに優秀なのでした。

以下は、それぞれに立派な「痰」たちです。
どんな時の「痰」なのかは別途にご説明したいと思いますが、最後の2枚(1日違いですが)の違いが、症状として決定的に「難儀」さの差になっていました。
それにしても最後から2番目の「痰」、細気管支の姿を見事に塑っています。

Tan20141112

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2015年1月 6日 (火)

医業類似行為解釈をめぐって①

 あはき柔等営業法の制定時、四業種(あん摩・はり・きゅう・柔道整復業の四つの業種、以下同)は「医業の一部」との認識があったにも関わらず、なぜ「医業とは、医師が行う医業であり、あん摩、はり、きゅう、柔道整複等の施術は、これとは別な、その外側にある医業類似行為の範疇に入る」と大きくズレた解釈がなされるようになってしまったのか、この辺りの事情やこのようなズレが生じた理由について、厚生省医務局編纂『医制百年史』を参考に、歴史的経緯を辿りながら、少し長くなりますが考察してみます。

(1)あはき柔等営業法制定前史 - 戦前の事情

 明治7年(1874)、明治維新後の近代国家としてのわが国の総合的衛生制度の始まりとなる医制76条が発布される。
 医制第53条の(4)「医師、産婆、鍼灸業者」の項では、「鍼治灸治ヲ業トスル者ハ内外科醫ノ差圖ヲ受ルニ非サレハ施術スへカラス、若シ私カニ施術ヲ行ヒ或ハ方藥ヲ與フル者ハ其業ヲ禁シ科ノ輕重ニ應シテ處分アルへシ」と規定された。

 この規定は、「はり及びきゆうの施術を医師の監督下に行わせることとし、 これらの業務を近代的医学の管理下におこうというものであり、西洋医学採用という政府の方針の一つのあらわれとして注目される。なお、あん摩術及び柔道整復術については、医制はなんら規定していない。医制の規定のすべてが直ちに実施されたわけではなく、このはり及びきゆうの施術に関する規定を現実には施行されずに終わっている。」とあり、制度的な整備は伴っていなかったようである。

 明治18年(1885)、内務省通達「鍼術灸術營業差許方」により、はり及びきゆう術の営業許可及びその取締りは各府県に委ねられた。各府県では、この通達に基づいてそれぞれ取締規則を定め、免許鑑札を与えて営業を許可した。あん摩術営業については、中央からの通達はなかった模様である。

 明治44年(1911)、内務省令「按摩術營業取締規則」「鍼術灸術營業取締規則」が制定され、あん摩・はり・きゆうの施術に関する全国的・統一的な法制が初めて成立した。

 大正9年(1920)には、「按摩術營業取締規則」が改正され、附則においてフランスから入ってきたマッサージ術が規定されると共に、柔道整復術についての規定も付加されて柔道整復術が初めて法制化された。

 医業類似行為を業とすることに関しては、これを直接に規制する法令がなく、明治39年以後は、旧医師法に基づき無資格医業として取り締まれる程度のものについて取締りが行われ、明治41年以後は、「警察犯處罰令」の規定が適用された。

 昭和5年(1930)、内務省衛生局長による照会回答によって、医業類似行為を業とすることについては各府県においてそれぞれ取締りを行うこととなり、この回答に基づき、多くの府県では取締規則を定め規制が実施された。多くの府県では取締規則を定めたが、その内容は届出制、許可制等さまざまであり、取締りを行わない府県もあった。
 たとえば、東京府では、「療術行爲ニ關スル取締規則」(昭5 警命43)を定め、療術行為を「他ノ法令ニ於テ認メラレタル資格ヲ有シ其ノ範囲内ニ於テ爲ス診療又ハ施術ヲ除クノ外、疾病ノ治療又ハ保健ノ目的ヲ以テ光・熱・器械器具其ノ他ノ物ヲ使用シ若ハ應用シ又ハ四肢ヲ運用シテ他人ニ施術ヲ爲スヲ謂フ」と定義し、この営業を行う者は所轄の警察署に届け出なければならないことや、営業広告の制限、消毒の義務などを定めた。 
   

(2)終戦直後

 昭和22年(1947)、「日本國憲法施行の際現に効力を有する法令の規定の効力等に関する法律」により、従来の内務省令などの法律に基づかない規則については昭和22年末で効力を失うため、法律の整備が急いで進められた。
 内務省令であった「按摩術營業取締規則」「鍼術灸術營業取締規則」も昭和22年末で効力を失うため、同年末に向けての法律制定が急がれた。「按摩術營業取締規則」の附則として規定されていた柔道整復業も、昭和21年末に厚生省令「柔道整復術業取締規則」として制定された。
 さらに昭和22年4月には、厚生省令「医業類似行為をなすことを業とする者の取締に関する件」が公布された。これは、医業類似行為に関して、各都道府県に取締を委ねてきたことに対し、中央法令による法的根拠を与えることを目的としたもので、内容はなんら規定せず、単に形式的な法的措置として発令されたものである。

 「柔道整復業」と「医業類似行為業」に関する取締規則が、形式的であっても急いで制定されたのは、「あん摩、はり、きゆう」業「柔道整復業」と「医業類似行為業」(これが法律名の「」)を法制化する下準備として必要不可欠であったためである。

(つづく)      

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2015年1月 2日 (金)

今年こそは・・・・

昨夜、元日夜は、長女夫婦・長男夫婦を含め家族8人で遅くまで「ウノ」に興じていいましたが、小生は喘息が収束せず、隣室で独りゆっくりと起座でうたた寝しながらPC作業。

本日、午前中の雪模様で、実家での年賀を諦めて自宅待機となり、手を入れ始めたサイトの再構築に一日費やしました。

古くなった過去記事ですが、手を入れつつブログに再編して一日が過ぎました。

今年こそは、諸事にかまけず、少し勉強に励んで「形」を作ってみようと、意を決したところです。

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2015年1月 1日 (木)

養生之暦 H27年 1月 謹賀新年

201501

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