医業類似行為解釈をめぐって②
(3)昭和22年頃 あはき柔等営業法制定当時
昭和22年(1947)1月に厚相諮問機関・医療制度審議会が設置され、直ちに出された「医療制度改正要綱答申」では、「医療を医師を中心として行われるべきものとし、それ以外の業務を禁止するべきであるとの方針」を表明し、おおよそ次のような内容の答申を示した。
鍼、灸、按摩、マッサージ、柔道整復術、医業類似行為営業の取扱いについて ・・・・ これらの営業については、人体に関するものであるから、本来はすべて医学上の知識の十分な医師をして取り扱わせるのが適当であると考える。しかしながら、これらの中には、医療の補助手段として効果のあると考えられるものがあり、又科学的に更に究明せらるべき余地のあるものもあるので、これらについて差し当たり左記のごとく取り扱うのが適当であると考える。
一 鍼灸、按摩、マッサージ、柔道整復術営業者は凡て医師の指導の
下にあるのでなければ、患者に対してその施術を行わしめないこと
とすること。
二 鍼、灸営業については、盲人には原則として新規には免許を与えな
いものとすること。
三 柔道整復術営業については、原則として新規には免許を与えないも
のとすること。
四 いわゆる医業類似行為は凡てこれを禁止すること。※ この答申の趣旨は、明治7年(1874)に明治新政府が発布した
医制53条の内容そのままである。
医制第53条の(4) 「 医師、産婆、鍼灸業者 」の項
鍼治灸治ヲ業トスル者ハ内外科醫ノ差圖ヲ受ルニ非サレハ
施術スへカラス、若シ私カニ施術ヲ行ヒ或ハ方藥ヲ與フル者
ハ其業ヲ禁シ科ノ輕重ニ應シテ處分アルへシ
この答申の考え方、特に一及び二に対して業界や視覚障害者団体の強い反対があり、一方であん摩等の施術が長い伝統をもち医療に一定の役割を果たしていることにかんがみ、政府はあん摩等四業種に限り医療制度の外側において制度的に認め、一方では、免許を受ける資格を相当引き上げ資質の向上を図ることとし、昭和22年12月、従来の按摩営業取締規則、鍼術灸術営業取締規則及び柔道整復術営業取締規則をあわせ、かつ医業類似行為に関する規定(これが「あはき等営業法」の「等」の部分)をも含んだ「あん摩、はり、きゆう、柔道整復等営業法」=「あはき等営業法」を制定した。
この昭和22年の医療制度審議会の答申内容とそれに前後した業界の動きが、「鍼灸」業界では「GHQ鍼灸禁止令」や「GHQ旋風」と呼ばれているエピソードの元になっているようです。連合軍進駐軍下の日本では、既存のすべての法律よりもマッカーサー元帥を総司令官とする「GHQ=連合国軍最高司令官総司令部」が絶対的な存在であった、ということが強調されているわけです。
しかし、答申の内容は、明治新政府が出した医制53条の内容をそのまま踏襲したものであり、近代医療制度の制度設計者の理想論が再燃しただけ、ということなのだと思われます。
「GHQ」を持ち出すことで、いかにも大きな外圧に抗した、という「伝説」が語られてきたようです。当然ですが、厚労省編纂本『医制百年史』では、「GHQ旋風」も「鍼灸禁止令」についても、その言葉も言及も全く見られません。
この法制定の主旨は、①按摩・鍼・灸・柔道整復は、医業の一部として治療行為を許可する、②按摩・鍼・灸・柔道整復は、教育を高度化させ、国家試験を実施する、③医業類似行為についてはこれをすべて禁止する(経過措置として、届出により昭和30年末までの間は営業可とする)というものであった。
『営業法の解説』(S23.6)によれば、「醫業とは、醫の行爲即ち人體の疾病の診察治療等を業とすることであると解すれば、あん摩、はり、きゆう及び柔道整復等の行爲が、人體の疾病の治療を目的とする行爲である以上矢張り醫の行爲であり、これを業とすることは醫業に属することになる。」とあり、同法で四業種は「医業の一部」と考えられており、同法(改正法も含めて)の条文はこの文脈で立案されている(同書の著者らは「この法律に関しては最初から苦労を共にし、立案施行一つとしてその参画にならざるものはなく」と評された厚生官僚)。
前述の通り、同じく昭和22年4月 ( 医療制度審議会の設置に前後して )、「柔道整復業」と「医業類似行為業」を法制化する下準備として急いで厚生省令で取締規則が定めたことを示したが、このことは、国(政府)が、医療制度改正要綱答申の内容の如何によらず、「あはき柔」業と「医業類似行為業」を一定要件を課した上で一括して法制化する意志を最初から持っていたことを意味しているものと考えられる。
(4)昭和25年と35年の厚生省医務課文書
昭和25年(1950)2月の厚生省医務課長回答(医衆第97)では、「(あん摩、はり、きゆう、柔道整復等営業法第5条の「施術」は、あん摩、はり、きゆう、柔道整復の術を意味するが)これらの施術を業として行うことは理論上医師法第17条に所謂「医業」の一部と看做される。 2 然しながらあん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法第1条の規定は、医師法第17条に対する特別法的規定であり、(後略)」と明確に示されている。
昭和35年(1960)3月の厚生省医務局長通知(医発247の1)では、「(最高裁判決は)医業類似行為業、すなわち、手技、温熱、電気、光線、刺激等の療術行為業について例示したものであって、あん摩、はり、きゅう及び柔道整復の業に関しては判断していないもの」とあり、四業種と医業類似行為とが明確に区別されている。
※ 療術:東京府において戦前に定められていた医業類似行為に対する名称で、
同業者の団体も「療術」「療術師」を好んで用いたと言われている。
(5)昭和40年代 戦後社会の再秩序化 -「医師を中心とした医療制度」の整備期
医療制度改正要綱に基づいた「医師を中心とした医療制度の整備」は、あはき柔等営業法制定の翌年に始まる医師法・医療法の制定などを軸として始まり、昭和40年代以降の高度経済成長を原動力とした戦後社会の再秩序化の過程で充実発展した。
制度の整備が進むにつれ「医師でなければ、医業をなしてはならない。」という医師の医業独占規定に例外は許されないとの考え方が強まったのも、ある意味で自然の成り行きであったものと推測される。
このような事情は、「医行為」の定義を一般社会通念的に「医行為とは医学の原理原則を実際に応用する行為である」としていたことから、「医行為とは医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危険を及ぼすおそれのある行為である」といった医師の医業独占を強調する同義反復的な定義に意味が狭められるようになった事情と同様の流れだと思われる。
このような流れが、四業種を「医業の一部」であるとした特別法的な規定や解釈を排除する機制として働いたものと推測され。この傾向は昭和40年代後半から顕著となり、四業種は「医業の一部」ではなく「医業類似行為(の一部)」であるという解釈が次第に広がっていく背景になっていたものと考えられる。
(つづく)
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