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2014年12月10日 (水)

治療の政治学

 中井久夫は、個性的で優れた精神科医がいわゆる人文全般の達人であるの例に漏れず、専門分野からギリシャ詩の翻訳まで非常に幅広い多くの著作を成している。ウイルス学を出発として精神科の臨床医となり、舶来の体系や権威にすり寄ることもなく、また、東洋観念に和合することもなく自らの感性で道を拓いてこられた。

 例えば、統合失調症患者の過剰とも言える感受性を「心のうぶ毛」という言葉で表すのは、医学者である前に、病むことの可能性のうちにある一人の人 間(おそらく気質的には、心を病むことに非常に親和性が高いのかも知れない)として「心を病む」ことをつきつめた者のオリジナルな洞察力があればこそであ ろう。教養あるいは知の収集家たる大正教養人の末裔を思わせる中井のエッセイは、教養の深さは言うに及ばす、治療(家)の本質を考える上でも多くの示唆に 富んでいる。

 ・・・内分泌系も自律神経系も、免疫系と同じく「高度に政治的な」行動システムを持っている。これらの間をいそがしく調節しているのが、どうやら脳らしい。

 このような政治的システムが完備するのは、硬骨魚類からであるらしい。ふつうのお魚とサメやエイの諸君との間には深くて暗い溝がある。こちらでは急にすべてが単純になる。これも連絡者としての脳の問題だろう。

 われわれの治療は、多く、この身体の政治学的状況にわずかばかりの変更を加えようとするものであった。ちょっと皿を傾けるほどの介入であったかもしれぬ。

 治療においては、病気の側にも一種の疑似政治学がある。治療は、治療に伴う反作用を避けつつ、基本的には、病との絶えざる妥協であり、その妥協の結果、病を最善の形で経過させることが治療の政治学である。

 治療には士気の維持が大きな要素である。治療においても同様である。特に慢性の病において。  治療の政治学においても、古代ギリシャのごとく、テュラノス(僭主)やデマゴース(扇動政治家)が横行しがちである。(中略)しばしば現状維持が最良の選択である。

 しかし、政治学なしですませることができるか。いささか平凡な結論であるが、目的と価値とを以て現実と相渉ることが治療である限り、治療は政治学 なしでに済むまい。薬といえども、それの働きに「賛成」する心の準備なしで強制的に飲ませられるのと、「賛成」して飲むのとでは、必要量も、薬効も大いに 相違する。そもそも政治学なしに病人の口まで持っていけるか。

 現実と相渉る学としての政治学は、徴候を読む知である。三日前の足跡を読む。このような知に市民権を与えたのは、カルロ・ギンズブルグであり(『神話・寓話・徴候』)、やや遅れて中村雄二郎である。シャーロック・ホームズの学である。

 しかし、徴候解読は読み損なうと妄想に近づく。政治学は絶えず固定観念を外へとくみ出さなければなず、この点からも、体系にはならないという結論になろう。
    治療の政治学 『 家族の深淵 』 みすず書房

  引用が長くなってしまったが、ここで取り上げたかったのは、内分泌系も自律神経系も、免疫系と同じく「高度に政治的な」行動システムであり、この政治的シ ステムが完備するのは、硬骨魚類からである、という部分だった。ただ、この「政治学」についての短い警句に含まれている叡智は、治療家たる我々にも共通し た必須事項と考えられ、ここに紹介しておくのも意味があろうと思われる。

 政治学とは、徴候を読む知であり、現実と相渉る学である。生きて社会生活を行いつつ病む人は、実験室で生かされている動物でないことはもちろん、 理論的に再構成される生化学的な物質過程でもない。人の現実とは、森羅万象であり総体であり全体である。複雑な生態系としての人の現実と相渉る術、それが 「高度な政治学」なのだろう。
 許されざる怠慢と許される危険のバランス、という政治学もある。

 わずか な副作用を恐れ、マスコミを信じ、代替療法・民間療法にはしるというのは、巨大なリスクを背負う。利益はそれに比べてほとんど得られない(肺ガン治療薬イ レッサへのバッシングに対して)。  完全なワクチンなどどこにもない。インフルエンザ死3200人の方にはいる確率が高いか、ワクチン副作用3.5人に入る確率が高いか。出荷本数に対する 死亡副作用はきわめて低い。 現実世界では危険性を天秤にかけ、どちらを取るかしかない。
    ( 世界標準の科学的医療の普及を唱える内科開業医 )

 確率論で語られる安全と危険、これも冷徹な現実政治学であり、はやりのEBM=エビデンスに基づく標準治療が目指す治療の政治学であろう。 

もっと矮小な政治学もある。大学病院財政を支援するための診療報酬の特例。経済的動機に基づく投薬や検査などへの寛容。

 病院から検査を増やすよう指示され、大量の薬や、しなくてもいい検査をしている自分に嫌悪する(税金で医療費がまかなわれている生活保護などでは特に)。ただ、医療関係者だって食べていかなくてはならない。
     (ある内科勤務医のつぶやき)

 これも現実政治学であるには違いない。
  では本物の政治はというと、例えば、様々な集団の利害と感情の錯綜するアメリカの国内政治、中東を巡る国際政治の困難を例にとるまでもなく、現実政治は介 入と妥協と傍観の難しい綱渡りである。そこでは、特効薬もワクチンも外科手術も非常に限定的な役割しかない。徴候を読む知が妄想となり固定観念となると、 冷徹な現実はしっぺ返しに重篤な障害を用意している訳で、ここで経験論は経験的確率ではなく冷徹な現実の壁、先験的な確率(つまりは五分五分の)によって 修正される。それが現実の政治ではある。
 イラク戦争によって死亡する米兵の数は、第二第三の貿易センタービルテロで死ぬはずの米国国民の数を下 回るはず、といった確率論などはもちろん主張されもしないし通用もしない(もっとも、広島や長崎への原爆投下は、本土上陸作戦によって失われるであろう米 兵の数を激減させる「効果」があるとの簡単な計算から導かれ正当化されたろうし、今でも支持されている死者の値段に差をつける論理である)。
 社 会の回復、統治秩序の成立がいかに困難かは、やはり社会自体も生態系であって、容易な介入が錯綜を増幅し社会成立を妨げることがありうることを示すもので ある。秩序の崩壊は早々とめざましく、その回復は遅々として目立たない(これは、内部秩序の崩壊もしくは不均衡に擬せられる慢性病の回復過程についてもあ てはまる経過である)。もちろん、イラク戦争の是非を問うているわけではない。

 人の社会もヒトの身体もやはり一種の生態系だから、介入と妥協と傍観の政治学が必要なのである。だから「医原病―医療信仰が病気をつくりだしてい る」や「医療が病いをつくる」などと病院化社会文明を批判するのは、科学的医療が喧伝される程に幻想化が進むことへのカウンターとして、つまりは政治には 対立勢力が不可欠であるという点からしても意味があることだろう。

 精神科医療に限らず、病い、特に慢性病や生活習慣病などすべからく心 身相関病である病いには、最小限の介入と妥協によって最善の形で経過させることが、治療の政治学であることは論を待たない。徴候を読む知である治療の政治 学からすると、確率論に依存することも矮小な現実に妥協することも党派政治レベルの話でしかないだろう。
 読み損なうと妄想に近づく徴候の知を絶えず固定観念の外へとくみ出し、体系ではない治療の政治学を手にするためには、権威や統計を疑い、自分の目と手、自らの感性を頼りに自分の言葉で考えるシャーロック・ホームズの学が必要なのだ。
(患者の声調も顔色も伺わず、検査結果を示すディスプレイから目を離さずまともな対面もせず、脈も取らず、科学的医療の信念の元に下される診断と指示に、徴候の知はあるのだろうか。)

 さて前置きが長くなった。これから本題である。
 動物とりわけ脊椎動物の自律神経系-内分泌系-免疫系は、「高度に政治的な」行動システムとして統御されており、この高度システムが完備するのは硬骨魚からである。サメやエイなどの軟骨魚類と硬骨魚類との間には深くて暗い溝がある(歳がわかるね!)。

  サメの研究書を読むと(もちろん著者はサメファンであろう。『サメの自然史』谷内透)、サメ類もまた高度システムを持っていることが解る。たまたま陸を目 指さなかった古代魚類の子孫の一系統は、深海で宿敵頭足類の攻撃から身を隠して出番を待ち、次第に海に完璧に適応していった。彼らは、卵胎生を獲得し、グ ループ狩り(つまり高度の情報処理能力を持ち)すら行い、海の食物連鎖の頂点の一角を成すに至った。上陸を考えも、トライもしなかったサメ類は、古代魚類 の正統を受け継ぐ海の王者なのである(三木茂夫)。

 サメ類にも、内臓はもちろん自律神経系も立派な脳もある。ある種の肉食性のサメは高 速で泳ぎ、奇網という血管網を持つことで水温より高い体温を維持できるらしい(つまり冷血とは限らぬ訳だ)。奇網システムは、哺乳類では末端の動静脈吻合 と体肢の伴行と表在の二系統の静脈系によって構成される対抗流熱交換機構(ヒートポンプ)として、その恒温性の維持機構の一翼を担っている(この機能が経 脈の実体の一部である可能性がある)。また、マグロやカツオなどの赤身の大型魚類(硬骨魚)も、その筋肉中には奇網システムを備えており、変温冷血の魚類 にはふさわしくない内熱温血の恒温性を部分的に獲得している(だから、トロは霜降り肉と同じ食味だし、シーチキンはまさしく海の鶏なのである)。

 「高度に政治的な」行動システム(自律神経系-内分泌系-免疫系)を完備した硬骨魚と、サメやエイなどの軟骨魚類の間にある暗くて深い溝とは、主に体壁と内臓の血管系の統御のシステムとして考えることができる。それは、体温調節の仕組みといってもよいだろう。

 海の王者サメ類の生息域は、主に夏の温帯までで、亜寒帯・寒帯では生きてゆけない。そこは硬骨魚類の独壇場であり、食物連鎖の頂点は海棲哺乳類のシャチや鯨の仲間などが占めることとなる。
 硬骨魚類と軟骨魚類の差は、もちろん脊椎を初めとした骨構造の質の差であるし、うきぶくろの有無であるし、腎臓や脾臓の独立である。
 地質年代デボン紀(4.1億~3.6億年前)、約1億年間続いたカレドニア造山運動と呼ばれる地殻変動の時代の太古の浅海で、汽水域に進出した古代魚類の一グループは、「進か、退くか、そこには一億年になんなんとする逡巡の日々」(三木成夫)を過ごし、骨質を変化させ、腸管の一部を空気呼吸器官とし、浸透圧調節のために腎臓を完全独立させた。骨質の変化は、造血巣としての骨髄腔を準備し、造血器(免疫器官)としての脾臓を腸管周囲から独立させた。
 そして最も注目に値するのは、大きな外界環境温度の変動に対処する「高度に政治的な」行動システムである体温調節系の実行器官として自律神経=血管調節を行う交感神経系を完備し鍛錬したことであろう。

  水の比熱を1とすると、土は0.25、空気は0.24。海と河川と沿岸陸地と内陸地、それぞれの昼と夜、夏と冬の温度変化がどれほどあるだろう。比熱も大 きく熱容量も大きく温度変化が極めて少ない海中と、熱しやすく冷めやすい大気と大地の温度変化の大きな陸地。昼夜で10度以上、夏冬で30度以上の大きな 温度変化のもとにある陸地で、生物が耐ぬくために必要な「高度に政治的な」システム(当然のことながら湿度=乾燥への対処もそれに劣らぬ重要素である が)、この大きな外界環境温度の変動に対処する「高度に政治的な」行動システム、つまり体温調節に関わる統御系の有無が、お魚とサメやエイの諸君との間の 深くて暗い溝なのである。

 逆に、最も温度変化が少ない環境は深海であり、この安定した温度環境に適応した生物は、生きた化石と呼ばれる ように太古の昔から「進化」の必要がなかったらしい(サメ類の祖先もここで待機していたらしい)。  もっとも、三木茂夫の衣鉢を継ぎ実験進化学を提唱される西成克成先生は、ある種のサメの陸揚げ実験を行い、血圧上昇や腸管による空気呼吸の出現を見たと いう。血圧上昇は、水中浮力による1/6Gから大気中の1Gのみかけ上の重力負荷に身体組織が曝されることに対抗するための生物反応であり、それには体壁 血管系を収縮させる実施と調節の系列が必要不可欠なのである。つまり、ある種のサメ君にも血管収縮神経=交感神経系が準備されていたと考えるべきなのであ る。

( 2004/02/02 )

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