« タミフル・・・ (2007/03/25) | トップページ | 彼岸の特異性? (2007/03/27) »

2014年12月 6日 (土)

オルテガ (2007/03/25)

ホセ・オルテガ・イ・ガセット( 1883年明治16年~1955年昭和30年 )は、志賀直哉、北一輝、カフカ、ヤスパース、ムッソリーニ、ケインズと同年生まれのスペインの思想家。

ひょんな事からアマゾンの古本で、1970年昭和45年刊オルテガ著作集全8卷を入手。 この本が出た1970年は、大阪万博、日本赤軍よど号ハイジャック事件、全共闘運動の末期、私は高校2年生。
睡眠薬代わりに、毎日10数ページを進んだり後ずさりしながら、やっと第1卷を読み終えた。

スペインよりもポルトガルという国・地方に興味があって、そのポルトガルの歴史などを調べていた中で、オルテガ著作集の古本に出会った。 西部邁の評論などで文明論者として引用されていた覚え。色摩力夫という外交官だった人の『オルテガ』も斜め読みした記憶。

ここで、少しメモ。

  「私は私と私の環境である」 現代の課題 8 生の価値 1923年

生はそれ自身の自由にまかしておくと利己主義的になりがちであると主張されてきたのは、大きな誤謬であった。なぜなら、生はその根底、その本質において明らかに利他主義的であるからである。

生は、利他主義の宇宙的実現であり、生ける自我の他我への永遠の移住としてのみ存在する。

生に意味を与えるものは超越的な価値ではなくして、生におけるおどろくべき寛大さである。この寛大さは、超越的なものとは異なったあるものによってその情熱を燃え立たせる必要がある。

生の本質をなすところの評価さるべきあるものによって点火されるその力は、それらの偉大なもの(注:超越的なもの、科学、芸術、正義)より価値の低いものではないのだということを指摘したいのである。

生は、それを通じて他の事物を見ることのできる透明な媒体、水晶のごときものである。 (生の)価値の第一のものは、類的に見られた生一般 - その方向や内容はどうであれ - に属するものである。

|

« タミフル・・・ (2007/03/25) | トップページ | 彼岸の特異性? (2007/03/27) »

800 世界・思想」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: オルテガ (2007/03/25):

« タミフル・・・ (2007/03/25) | トップページ | 彼岸の特異性? (2007/03/27) »