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2014年11月26日 (水)

月をめぐる断章 (2002/11/17)

確認するまでもないことだが、太陽をめぐる円軌道上を運行するわれわれの住む惑星地球は、ほぼ365日でその軌道を一周している(年周期)。この地球を周回している唯一の衛星である月は、約29.5日の周期で運行している(月周期)。太陽が地平線から顔を出しはじめてから全円を現すまでの時間-角度を1単位とすると、ほぼ720単位で太陽は地球を一周している(日周期-もちろん地球が自転しているのだが)。これらの年月日の周期の波動は、地上の全ての動植物を運命づけるリズムとして、その生命活動を刻印している。

農耕の文明にとって最も重要な要素は、温度と日照であり、それは太陽のリズムである四季によって決定づけられる。月の周期は1年で約12日のズレをもって1ケ月を刻むが、四季の自然時間を人々の生活時間として区切る暦の単位としてはよほど実用的であり、12日分の補正を閏月として施した太陰太陽暦は、農事や漁労の作業スケジュールを決める目安として農耕文明を支えてきた。太陽神・天照大神・大日如来と月神・月読命・月輪は、共に手を携えて人々の営みを支えてきたわけである。

古代メソポタミアの民は、太陽周期で補正せずに月周期のみで暦を刻んだ。この太陰暦は、後のイスラムの文明に受け継がれイスラム暦となって、四季とは全 く無関係に独自の時季を刻んでいる。私たちのような四季が際だったモンスーン地帯に住む者には、低緯度圏で時に過酷な乾燥と熱暑に生きる人々の自然観は理 解を超えるものがある。太陽は、彼らにとって恵みの源ではあっても、過酷な自然の象徴でもあろう。私たちが、月の砂漠をはるばると旅のラクダの背にゆられ て行く隊商のイメージや砂丘に浮かぶ満月の図にロマンや詩情を感じるとすれば、彼らは日中の炎暑から解放してくれる救済神のシンボルとして月輪を観じてい るわけだ。イスラムのシンボルが、三日月と星であることはそのような意味を持っているのだろう。

ひんやりと乾燥して澄んだ夜空、砂丘から昇る青白く巨大な満月を眺めてみる。モンスーンの民としては、一度でいいからそのような体験をしてみたいものである。

  しらしらと望月の朝明けゆきて
     さゆろふ風にもの思ふなり

  月輪の冴ゆる寒空ひた走り

ところで、地平線に近くにある月は、天頂近くにある時と比べると極めて大きく見える。また、黄味や赤味を帯びる。前者は、近景にある地上の物体と の対比による錯覚とされ、後者は、大気中の粒子による乱反射とされている。納得はできるが、その不思議さにはいつも心に残るものがある。色目で言えば、赤 味を帯びた巨大な満月は妖しく、不気味でもある。2万キロほども離れた遙かに遠い黄土高原、そしてゴビの砂漠から飛来する砂の粒子が満月を赤く染める。こ れも砂漠の月か。

  満月の赤き 大陸の風の色

そして、ヒトの生理。性的に成熟した女性の月経に限らず、ヒトには、約29.5日の月齢周期があるとされる。その基礎には、24.8時間の日周期 (サーカディアンリズム、概日リズム)があるという。人は、体内の自然時間が陽の光によって補正された生活時間を健やかに生きている。

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