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2014年11月22日 (土)

Nさんの嘔吐下痢他 (2002/05/01)

◆Nさんの嘔吐下痢
葛根湯でも過敏症状を現すN婦人とはもう15年以上のおつき合い。
小心で病気恐怖症が強く、パニックに陥りやすい方。
咽頭喉頭が弱く、風邪をひくとすぐ声がれし、咳の頻発で難儀する。01/11/26参照
そのNさん、今日は昨夜来の嘔吐下痢を訴える。
昨夜半、急に吐き気がし大量に3度ほど嘔吐する、前後して下痢も数回あり、熱発なし、下腹痛なし、吐いた時に胃のあたりに少しだけさし込むような痛みがあったが続かない。
夜半中不安で救急車を呼びたいほどであった(一人暮らしだが、娘夫婦が隣に暮らしている)。
朝一番でかかりつけの内科医を受診、その頃には軽い吐き気だけで嘔吐下痢症状なし。熱発もないが、お腹にくるカゼでしょう、とのことで吐き気止めを処方される。
その足で当院に来院される。舌は正常、腹部触診でも腸管の過敏状態はさほどない。熱もない。
昨日は「何を食べた、何かかわった物を食べなかったか」としつこく聞くが、「思い当たることはない」との返事。「Nさん、これはどう考えてもカゼの胃腸炎じゃないよ。第一わずか半日ほどでこんなにケロッとしているのは不自然だよ。絶対に何か変わった物を食べたのじゃないかね。これは一種の食傷みたいなものだよ。」と再度問いただす。
すると、「一昨日から、頂き物の好物のタケノコを結構な量食べた。昨夜は、茄子1本分を油炒めで食べた。」とのこと。

 ・タケノコは食物繊維が多く、胃に負担が大きい。
 ・ナス科の植物はアクが強い(ジャガイモの芽にも含まれるアルカロイドであるソラニン)。
 ・夏野菜は体を冷やす作用があるが、ナス科、ウリ科の食物はとくに体を冷やす。
 ・ナスの実の部分はスポンジ状で油を大量に含むことができる。

タケノコを多く食べて胃腸に負担がかかっていたところに、アク抜きが不十分だったか、油の量が多かったかの茄子を1本分も食べたことで、胃腸管が治癒反応的に食べたものを受け付けず嘔吐し下したのではないか。
吐くべきして吐き、下すべきして下している時に、「吐き気止め」はないでしょう。
せめて、健胃薬と整腸剤にして欲しいものです。

 

◆介護家族の「介護」の大切さ Tさんの例
T婦人は65歳、慢性腰痛、頸部痛・肩こり・頭痛で月に数回来院される。
数年前から実母94歳を自宅で介護している。頭はしっかりしており、内臓も丈夫、ただ足腰が萎えておりほとんど寝たきり。食事と排泄は自力ではできない。
頭がしっかりしていて姑でない分、お互いにわがままが出やすいのか、憎たれ口ばかりたたき、しょっちゅう喧嘩みたいになる。早く死にたいが口癖だが、結構しっかりと食べて元気。夜数回オムツ換えで起こされる。
介護家族の大変さは、疲労それも寝不足からくる慢性的な心身疲労が主愁訴となり、持病のような腰痛肩こりなどは背景に隠されることが多い。
ご本人の自覚は、どこがどうあるというより、とにかく「眠いし、くたびれる」と表現されることが多い。
訴えとしては背景に隠れるような、肩こり、背部のこり、腰痛について丁寧に聞き出し、探り、それを和らげるような治療に努める。もちろん、不眠への対処としての後頭部や上項への治療も欠かさない。
このような場合は、ベットの空き加減次第だが少し余分に「寝かせて」あげる。これも治療のうち。たいていはヨダレをたらすほどに眠ってしまう。
頸部や背部の治療が重なってくると、同じように夜中に起こされてもまたすぐに眠れて眠りが深くなり、疲労感が薄れてくる。身体的耐久性が増して疲労感が薄れてくると共に、心にも余裕が少しずつ見られるようになる。
全面に現れている訴えが「心の疲労」と考えられる場合でも、例えばカウンセリングのような臨床心理的なアプローチが無効だとは思わないが、「身体の疲労」を改善してゆくことで「心の疲労」も改善されると考えている。
そして、身体の疲労と心の疲労の架け橋になっているのが「睡眠の質」ではないかとも考えている。 

◆腰の捻れ曲がりのHさん
70歳のご婦人Tさんは、今時少なくなった腰曲がりである。昔は農夫病とも言われた腰曲がりは、屈む姿勢を長時間 する農作業が長年にわたって負荷されてきたことのツケである。近頃は農家でも機械化が進み、屈み姿勢作業が少なくなったせいもあり、腰曲がりの人を見るこ とは少なくなった。そう言えば、同じように膝の変形が強い人も少なくなった。
Hさんは腰痛、膝痛、肩痛の訴えで来院された。腰は曲がるだけではな く捻れており、歩容は肩を揺すって相撲取り風である。腰痛の具合を具体的に問診していくと、訴え方の程度と実際の生活動作の障害度の間にズレがある。何度 も何度も確認するが、痛いという割には炊事洗濯(まだ現役の主婦である)の困難は少なく、1年ほど前から始めたプールでの水中歩行の効果だと自分で言うほ どに歩行は最近楽になったとのこと。
では何で腰が痛いと訴えて来院されたのか。
腰曲がりも捻れも、見かけほどは痛みは少ないものである。ただ、姿勢や動作の耐久性に欠けて、同一動作の連続や姿勢の保持には難儀することが多い。
H さんは、農家にお嫁にきて初めて農作業を精一杯やった。お姑さんは厳しい人だった。夫が庭石の売買を始めたとき、Tさんがトラックの運転免許を取って石の 運び出しに精を出した。ご近所の人によると、誰もが「Hさんは若い頃から、皆が感心するほどよう働いた」という(ご近所さん数名の紹介であった)。
訴 えの程度と実際の生活動作の障害度の間にズレがあることをしつこく聞いていたときには、少し険しかった表情が、「若い時の労働の厳しさのツケ、勲章です、 恩給なんですよ、この腰は」みたいに話しかけると、とたんに柔和になる。なるほど、わかって欲しいのだ、この腰の由来を。
人は、病や障害の加害責任がはっきりしている、と感じているとき、それが悔やみや憎しみや嘆きのようなマイナス感情につながると、病状は固定し増悪し、理屈に合わないような矛盾した状態を呈することがあるように思う。
H さんの場合、若いときの労働の厳しさに耐えて家業を支えたことはもちろん誇りである、けれど「こんな腰に誰がした」という負の気持ちもゼロではないのだと 思う。若いときの苦労が、ありがたくはないけれど「勲章、恩給」じゃないかと、少しでも正の方向に昇華されれば、正味の病状に向き合えるように思う。
事故の場合の昇華の方向性は、もちろん「命があってよかった、これ位でよかった」であるが、加害責任が明確なほど恨みの感情が諦められることは難しい。
Hさんに、この腰の捻り曲がりの変形は、「疲労」を来しやすい条件の一つであり、現在訴えている腰痛の直接の原因ではないこと、大事に上手に身体を使い、より疲れにくい足腰を造れば、あと20年は大丈夫じゃないか、と説明する。
Hさんは、こんな説明は聞いたことがない、変形=腰脚痛とされてきたと少し納得した模様。
現在、今のところ満足気で週2回の「メンテナンス」に通院中である。

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