季節の移ろいと生命の適応について (2002/03/25)
◆季節の移り変わりと人体・生命の適応の関係について考えています。
四季の移ろいは、地球を中心とした太陽の通り道=黄道の円弧の分割として配当されます。
我々の住む風土の緯度帯では、大きく春夏秋冬の四つ、赤道や極に近くなるほど夏冬の二つで一年は区分されることになります。
夏冬は陰陽の二分割ですが、四季はそのままでは東洋思想のもう一つの分類法である五行(木・火・土・金・水)に配分するには無理があり、緯度帯によって 「盛夏」などが分けられたりします。五行の考え方は、円環する時間を区切る分類としては少々無理があるようです。
その点、三陰三陽の六分割は太陽の運行に基づく暦法に、より合致するようです。
三陰三陽(陽明・少陽・太陽・厥陰・少陰・太陰)の区分法の起源については諸説あって、五行より後代に案出されたものであるとか、その命名や順序にも異同があったりするようです。
円がなぜ360度なのか、一年がなぜ12ケ月なのかは、当然ですが天体-太陽-運行に関係があるようで(1ケ月が30日なのは当然ですが月の運行に関係し ますけれど)、12進法と太陽暦の起源はともに古代中東にあるようですから、少なくとも円の分割法としては、5よりは6ないし12の方が生活実情に数理合 理性をもっていたようです。
生物、特に動物とって温度・熱管理は、細胞代謝の基本中の基本事項で、その生命細胞の温度管理は、外界自然の四季気象に最も大きく依存しています。
生き物の仕組みは、①温度・熱管理の仕組み、②エネルギー摂取と利用の仕組みに大別されると考えてみることができるほどです。
体内温度の維持は、熱を造る熱産生熱と熱を逃がす熱放散・伝導と汗蒸散が、外界の環境に応じて巧妙に仕組まれて実現しています。
生体の温度は、肝臓や脳や筋肉を熱源とし、血液が冷媒で皮膚は室外機、冷却のためのターボ装置としての汗の蒸発などによった極めて優秀な空調システムによって一定に保たれています。
エアコンが冷房と暖房両用に使われ、スイッチ一つで切り替わるのに対して、生体空調機は寒暖の切り替えに一定の準備と順応の時間を必要とします。
六分割された二ケ月分が生物が季節変化に追随するための準備順応期間だと仮定すると、主に冬・寒から夏・暑(またはその逆)への生体機構の再編時期が言うまでもなく更衣の候である「木の芽立つ」春先と「葉落つる」の秋口なのです。
古書によれば、太陰太陽暦である旧暦の3月4月が「陽明」の時期とされているそうですが、これは現暦では4月5月となって、九州の地方風土ではいささか実情に反してしまいます。
ここは、太陽の運行を主に考えて啓蟄から立夏前までを「陽明」に配当できると考えましょう。
(結局、暦は天体運行を主因とする四季を当地の緯度・風土によって補正されるべきだということです。)
我々の住む風土の緯度帯では、大きく春夏秋冬の四つ、赤道や極に近くなるほど夏冬の二つで一年は区分されることになります。
夏冬は陰陽の二分割ですが、四季はそのままでは東洋思想のもう一つの分類法である五行(木・火・土・金・水)に配分するには無理があり、緯度帯によって 「盛夏」などが分けられたりします。五行の考え方は、円環する時間を区切る分類としては少々無理があるようです。
その点、三陰三陽の六分割は太陽の運行に基づく暦法に、より合致するようです。
三陰三陽(陽明・少陽・太陽・厥陰・少陰・太陰)の区分法の起源については諸説あって、五行より後代に案出されたものであるとか、その命名や順序にも異同があったりするようです。
円がなぜ360度なのか、一年がなぜ12ケ月なのかは、当然ですが天体-太陽-運行に関係があるようで(1ケ月が30日なのは当然ですが月の運行に関係し ますけれど)、12進法と太陽暦の起源はともに古代中東にあるようですから、少なくとも円の分割法としては、5よりは6ないし12の方が生活実情に数理合 理性をもっていたようです。
生物、特に動物とって温度・熱管理は、細胞代謝の基本中の基本事項で、その生命細胞の温度管理は、外界自然の四季気象に最も大きく依存しています。
生き物の仕組みは、①温度・熱管理の仕組み、②エネルギー摂取と利用の仕組みに大別されると考えてみることができるほどです。
体内温度の維持は、熱を造る熱産生熱と熱を逃がす熱放散・伝導と汗蒸散が、外界の環境に応じて巧妙に仕組まれて実現しています。
生体の温度は、肝臓や脳や筋肉を熱源とし、血液が冷媒で皮膚は室外機、冷却のためのターボ装置としての汗の蒸発などによった極めて優秀な空調システムによって一定に保たれています。
エアコンが冷房と暖房両用に使われ、スイッチ一つで切り替わるのに対して、生体空調機は寒暖の切り替えに一定の準備と順応の時間を必要とします。
六分割された二ケ月分が生物が季節変化に追随するための準備順応期間だと仮定すると、主に冬・寒から夏・暑(またはその逆)への生体機構の再編時期が言うまでもなく更衣の候である「木の芽立つ」春先と「葉落つる」の秋口なのです。
古書によれば、太陰太陽暦である旧暦の3月4月が「陽明」の時期とされているそうですが、これは現暦では4月5月となって、九州の地方風土ではいささか実情に反してしまいます。
ここは、太陽の運行を主に考えて啓蟄から立夏前までを「陽明」に配当できると考えましょう。
(結局、暦は天体運行を主因とする四季を当地の緯度・風土によって補正されるべきだということです。)
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