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2014年10月

2014年10月26日 (日)

エヘン虫の咳の正体は (2001/11/26)

◆就寝後しばらくすると咳がでて、それが数時間続いて熟睡できないという△さん。
呼吸器病で定評のあるM病院での診察では呼吸器には問題なく、臥位で食道から胃酸が逆流してのどを刺激しているのではないか、とのことで制酸・健胃薬を投与されるが、約1週間の内服でも症状は軽減しない。
鍼灸治療としては、のどや気管粘膜に「潤い」が得られることを期待して、首や胸や腕にツボをとるけれど、これらでうまく行かぬ時の最後の手段として「米山流」の咽喉刺という手技が効を奏することが少なくない。

この△さん、咽喉刺の直後から咳は減少し、同夜にはほとんど咳は半減、翌日にはほぼ止まり、3日後の来院時にはほぼ平常に戻る(つまり、平常時でも「カラ咳」を時々する)。
咽喉刺は「秘伝」みたいなもので、誰にでもできる・誰にもするわけには行かない。
咽喉刺は、「咳止め」ではなくのどの粘膜を正常化する働きがあるのではないかと考えている。だから、痰の出ない過敏症状としての咳には「鎮静・鎮咳」の、炎症によるのど痛と痰と咳には「消炎・鎮痛・去痰」の効果が期待できる、と考えている。

普通感冒後に気道感染症の症状がほとんどないのに夜間就寝後しばらくすると出てくるしつこい咳や、風邪とは関係なく年中ちょっとした刺激で誘発される場合の咳などは、のど粘膜の「痒み」で咳反射が高進した状態ではないか。
感染性の炎症はなくなってものどの粘膜に何らかの「荒れた」状態が残っているのかも知れないし、のどの粘膜が痒くなりやすい「乾燥症」なのかもしれない。とにかく「のどの粘膜の過敏症」と考えると解りやすいのではないか。

話としては、耳をいじると咳が誘発される人たちがいて、このような人は、のどの粘膜の神経と外耳道のそれとが繋がっているのではないかと推測された りする(胎生初期にはのどと外耳道とはエラ組織の一部として隣接しているそうだ)。Tさんは典型的なこのタイプの人で、年中カラ咳を頻発していて、時に (カゼの後などとは限らず)それは発作といえるほどの苦しげな症状を呈されていた。
△さんの経過は良いが、あまり痰も出ず、熱発などもない、得体の知れない、あるいはどこにでもいるような病原体による日和見感染の疑いも頭の隅に置いておくこと(異型性の気管支炎や肺炎には特効的な抗生剤がある)。

◆短めの首の人は、首の仰向け動作に要注意! ×さんの場合。
首の短い「猪首」の方は、首の後屈(後ろに曲げる)動作や作業などによって、頸部神経障害が引き起こされる危険性が大きい。
一般的に頸部の後屈姿勢は、頸部脊髄や神経根に対する圧迫牽引の力がかかりやすいと言われている。特に首が短めの「猪首体型」の人では、この傾向がより強く、中高年の男性では首を後屈した姿勢での作業後に神経障害-神経痛やシビレ-が起こることがよくある。
× さんは、60台半ばの男性、首が短い。農作業用トラクターの車体底部をのぞき込むような姿勢での短時間の作業後に頸部から腕にかけての神経痛様の疼き痛み 発症。夜も首と腕の疼きのために眠りづらい。シビレ感と軽い知覚障害も手の甲から前腕に認められる。力はほんとんど正常。頸椎症や頸椎ヘルニアによる頸神 経痛とされるような例。
このような体型の人は、「うがい」や首の体操のような姿勢動作でさえ頸神経を傷めることがある。大工、植木屋、塗装業などの職人さんは、上を向いて首を後ろに曲げた姿勢が続くような作業はとても危険である。
×さんは、神経障害も軽く、順調に回復すれば2~3週間で疼き痛みは軽快するだろう。シビレ感の回復はもう少し日数を要するだろうが。
この頸腕神経痛の例でも、疼き痛む腕部を「冷やし」、頸部鎖骨下部を「暖める」ようにアドバイスしたところ、発作状態の疼きが速やかに消退したとのこと。

◆長年の課題の自発痛の成立と治療について貴重な体験をさせてもらっている○さん。
特定処置中(腎透析)に出現・増悪する肩首痛と肩関節部の腫脹について。
週2~3回の治療を2週続けた後、肩関節の前方部の水腫様の腫脹は、まず内容物が半減し、次いで包状組織も膨れた状態から縮んで正常状態に近くまで波を現している。仰臥位でしばらくすると同部に自発痛が出現する。これは、座位をとるとしばらくして改善消失する。
姿勢も大きな要素であるらしく、仮説「還流障害で微細局所の組織内圧が高まった結果の発痛とその消退」は、「肩周囲の包状組織の一部が何らかの理由(姿勢など)で窮屈になる」ことが最初の引き金となる、を付け加えるべきかも知れない。
また、身体全体の水分貯留・むくみなど「組織内の水圧の高進」も誘発要因となっているかも知れない。
養生法「流れ込む側を冷やす・流れ出る側を暖める」に加えて、何らかの方法で「腕を釣る」ようにして肩関節周囲をできるだけ自然にルーズにすることも重要である。
これは、五十肩の自発痛が相当に強く難儀した宗教家の×さんが、「疼きは風呂に浸かると、ただちにウソのようになくなる」と言い、三角巾で腕を釣っていたことや、プール入水中に同様の現象が認められることなどからも推測されること。
比較的相対的に閉じられた微細な組織間隙が生じ、その空間で流入量が流出量を上回るような状況となったとき、内圧の高進が「疼き」を生ぜしめるのではないか。

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2014年10月19日 (日)

初心に帰ることの難しさ (2001/11/19) 

惜しまれて現役引退した精神科医の中井久夫先生の『分裂病の回復と養生』から。

医学においては「科学」「知識」と並んで、いやそれ以上に「スキル」が重要なのはいうまでもなく、患者が求めているものは「スキル」であって、学問知識ではない。

「スキル」は英語にしかないらしい言葉であると述べ、看護教育では既に採用されているというドレファス兄弟の「スキルの五段階」を、遅れた医学界でも採用すべきであるとされている。
「スキル」は、単なる技術でも技能でもなくもっと包括的で総合的な人間の実践能力のようであるが、技倆という言葉は近いのではないかと思われる。

その五段階は、①初級、②中級、③上級、④専門家、⑤エキスパートとされている。それぞれの段階については解説しないが、最上段階で「○○の神様」ともい えるエキスパートが間違いを犯すと大変なことになるとして、ベテラン・パイロットが初等教本通りに動く初級パイロットに手を焼いた例をあげて初心に戻るこ との大切さ難しさを説いておられる。

・・・いかなるエキスパートも完全なエキスパートでないこと、エキスパートが、私たちの諺でいえば「智者、智に溺れ る」ことがありうること、その迷いは初級者よりも大きく、及ぼす被害も大であること、エキスパートが迷ったら、第一段階すなわち初心に戻るべきこと、であ る。初期教本に戻るべきことは、「エキスパート」に限らない。すべての段階の人は、迷妄に陥りうるし、陥った時には一つ前の段階に戻るべきであ る。・・・・ただちに、若い人にセカンド・オピニオンを求め、ケース・スタデイの批判にさらされればよい。時には、選手交代をしてもらえばよい。

 私が追加すれば、「エキスパート」だから、「専門家」だからという誇りと周囲の眼とが正しくものを見、行動することを邪魔しがちなことである。私は診察 の途中でも、若い人たちの知恵を仰ぎに行って、セカンド・オピニオンを求めた。そうしてよかったことは多く、そうしなくてよかったことは皆無である。

      
こんな先生ばかりであったら、というのは難しい話であるばかりでなく、一歩翻れば自分自身もそんな困難の渦中にいつもいて、たくさんの失敗を重ねているのだことに気づかされる。

ただ不遜にも私が追加させてもらえれば、「患者に学ぶ」ことも追加しておいてよいのではないかと思う。

玄人が素人を見下し、ないがしろにしがちなのはどんな世界でもいえることであるが、また、みせかけの謙虚さで素人レベルにすり寄っているだけでは玄人の存在価値がないこともこれまた真実であろう。

私たちは、知識・経験という色眼鏡なしには専門家たり得ないが、その色眼鏡を一時はハズし違う眼鏡に掛け替えることはできる。難しいことであるけれど。

理論や学説に惑わされず、自分の五感と自前の頭で素直に患者さんの示している現象を観察し、ホームズの如き推論を重ねることの大切さを思う。

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乳児突然死とうつぶせ寝 ある産婦人科医の仮説 (2001/11/19)

先日、乳児突然死とうつぶせ寝について「高体温説」をとなえているという福岡市の開業産婦人科医の先生の新聞記事を読んだ。(うっかりしてスクラップしそこねた。ホームページも開設されているようなのでそのうちに探し出せるだろう。)

その説は、

  • 乳児は低体温が心肺機能を賦活する引き金である
  • うつぶせ寝では蓄熱しやすく、寝具をよけいにかけるとなおさら高体温となる
  • 高体温は心肺機能を抑制する

    このような状況が、 「心臓の活動を司どる交感神経支配の発達異常が、心室の収縮時間を表わすQT時間を延長させ、致命的な不整脈を誘発して、心停止につながるのではないかと考えられています。心交感神経支配は誕生後も発達し続け、生後6ヵ月目に完全に機能するようになります。生後6ヵ月目以降に突然死が少なくなるのは、このためと思われます。」
    (加藤小児科医院サイトから)

感心したのは、「うつぶせ寝では高体温となりやすい」ということに着目されたこと、関心があったのは、うつぶせ寝姿勢=最も放熱が少なく、寒さに耐えやすいような生物学的な温熱生理機構がある、ということ。

オーストラリアの原住民アボリジニは、日中は30度、夜間は零下近くにまで下がる気温環境の中で裸で寝具もなく暮らしていたという。彼らの皮膚構造を調べた研究があって、皮膚からの熱放散の制御の仕組み(ヒートポンプのような)が非常に巧妙にできているという。彼らの寝姿は、まるで猫のように丸くなるわけだ。

つまり、うつぶせ寝は、ほ乳動物にとって最も放熱ロスの少ない姿勢なわけで、逆に言えば最も蓄熱・うつ熱して高体温になりやすいということ。 若い母親は、風邪を引かせまいとしてたくさん着せて保温に努めようとするのが常だが、生物としての乳幼児は低温に強く高温に弱い(比較的・相対的に)のかも知れぬ。 うつぶせ寝で寝具をほとんどかけない、などという「実験」は出来ないが、興味深いことである。 感心しているのは、自分の感覚と知恵で「うつぶせ寝では高体温となりやすい」という子供の事実に目を向けて、オリジナルな仮説を立てていること。

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主権と連邦 (2001/11/19)

アフガン戦争も終息しつつあるようで、大方の見方は「以外と崩壊が早かった」というところのようである。官軍の勢いの前で、雪崩れうったような勝ち組入りと、バスからの途中下車組の存在は、イスラム・アフガン世界も、やっばり似たり寄つたりの人間社会だったということなのだろう(本当は、この戦後こそが難儀なはず)。

かの大戦のおりも、アメリカでは野球に興じ、日々敵を追いつめてい戦況を、今度のような実況まではなくとも詳細に報道しており、人々は例えばいま私がテレビや新聞でアフガンの戦況などを見聞きするように、日本との戦いに興味を示していたのだろうなと思われる(身内が戦つている人はもちろん違ったであろうが)。

ビンラディンの人徳が足りなかったのか、アラブ=イスラムということでなかったのか、西南の役ほどの拡がりは得られず、結果としては佐賀の乱どまりで薩長アメリカ「新政府」の前では無力であった。西郷さんほどの「減びの美学」があったらとは野次馬的だが、パレスチナ国が夢のまた夢とでもなれば、本当は「減びの虚無」の真実性が逆にリアルになってきているとはいえまいか。全てを道連れに滅びることを至上とするテロの安全装置は外され、引き金に手がかかっているのではないかと妄想してしまう。

いわば緩い連邦制にあった江戸日本は、藩と武士の「主権」を新政府に委譲した連邦、明治日本になったなどと素人考えをしていると、南北戦争によって連邦としての合衆国アメリカが成立したこともなるほどと思つてしまう。個人の武器所有という「カウ ボーイの主権」まではとりあげていないところが、偉大な島国たるアメリカの真骨頂なのだろうが。

薩長アメリカの主導の元に、「国民国家の主権」 はなし崩しとなり、「国際合意」の元に統合された。もちろん錦の御旗・大義名分は十二分にある。五三番目か五四番目かの飛び地の州が日本であったりアフガ ンであったりパレスチナであったりする、ことはないのけれどもそれでも「いじゃん。外交、国防、中央銀行は「民主的」に選出された大続領に率いられる中央 政府にお任せして、州法の自治範囲で内政がうまく行けば。そうなると法の下にダブルスタンダードはなしの公平平等が建前となって、民族浄化まがいの入植政策もとれなくなってしまうれど。

権力の本質は暴力ではなく「合意」であって、合意形成を優先するわれわれの風土の先進性も本当はもっと理解されてよいのかも知れない。むき出しの暴力もあれば王様の妥協もあるということも身をもって学習される機会でもあったのだろうが、大いなる島国が妥協と合意の道を歩み出すには、もっと波乱を必要としているのかも知れない。

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自発痛の成り立ち (2001/11/19)

長年疑問としてきた自発痛の成り立ちと治療について貴重な体験をさせてもらっている○さん。
特定の処置中に増悪する肩痛と腫脹について、既成の整形外科的な見方で理解したとしても対処できにくいのであれば、見方を少し変えてみるとよい。教科書やレポートに学ぶ前に目の前の患者さんに学べば、もっと違った見方や対処が可能ではないのか、という見本ともいえるような例。
フロック、まぐれ、心気傾向と暗示効果などなどと言われてしまうほどの良い結果で、○さん共々大喜びしている。
自発痛にせよ神経痛にせよその消長の観察から得られる推理仮説は、還流障害で微細局所の組織内圧が高まった結果の発痛とその消退。作業仮説としての養生法「流れ込む側を冷やす・流れ出る側を暖める」が、実際の症状緩和によって確かめられれば、的を射ていることになりはしないか。
素直に事実を見つめ学ぶこと、初心に帰ることの難しさが改めて問われている。

就寝後しばらくする咳がでて、それが数時間続いて熟睡できないという△さん。
粘液性の痰で悩まされている小生と違い、ほとんど痰は出ない。日頃から声枯れしやすくのどを痛めやすい。熱発もない。のど痛は少し。カゼということで葛根湯や抗生物質など服薬するも無効。気管支肺炎を心配しての検査も問題なし。
こんな咳発作は中年から初老期の女性には多い。就寝に限らず臥すだけで出ることも少なくない。

のどの粘膜の過敏性が問題なのだと考えられる。のどの粘膜の過敏性は、カゼなどの炎症によるとしてもその炎症の種類が普通感冒の場合とは違うのではないか。
背景にのどの粘膜の過敏性がまずあり、それが空気の乾燥、冷気、臥位での神経反射、臥位で気管粘膜のクリーニング機構が活発なること(痰の生成)、などの条件を得て「咳」となるのではなかろうか。
のどの粘膜の感覚は非常に鋭敏かつ「記銘」されやすいもので、魚の小骨や錠剤をのどに引っかけた後などはいつまでもその感覚が去らず、耳鼻科で確認してもらいたくなることも少なくないようである。
のど粘膜の鋭敏性は、燕み下しの時に気管に異物が入らぬように仕組まれている燕下反射のセンサーとして大切な故であろう。

最近、初老期女性の慢性膀胱炎や神経性膀胱について、膀胱粘膜の表面ではなく深部に炎症像(非細菌性の間質性炎?)がみられるということが言われている。
乾燥肌の人は、冬季ともなると入浴や就寝、肌の露出などで皮疹を伴わない痒みに悩まされることが多くある。老人では特に皮膚の脂肪層が薄くなり水分が失われやすくなって痒がる人が少なくない(老人性掻痒症)。
のどの粘膜でこのような現象が起きている可能性がありはしないか。
鍼灸治療としては、のどや気管粘膜に「潤い」が得られることを期待して、首や胸や腕にツボをとる。

養生法として、痰が多くて切れにくければ大根汁がよく効く。上記のように痰が少なければ就寝前に蜂蜜ドリンクを用意し枕元において少しずつ、一口ずつ含むようにする。軽く絞った濡れタオルをスタンドにかけて枕元に置く。

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2014年10月12日 (日)

還流系(静脈・リンパ)の障害が自発痛の成因か? (2001/11/12)

◆私の鍼灸臨床で最も手を焼く症状として、①急性期の重症の根性坐骨神経痛、②五十肩(肩関節周囲炎など)の急性期の(夜間)自発痛、などがあげられる。

◆「痛み」と「疼き」の違いを言葉としてこだわって使い分けられた東北出身の女性がいた。それは、「痛いのでなくて、痛むのよ」といった感じであったが、言ってみれば動かして痛むのではなく、じっとしていても痛むということを言いたかったのだろうが、少し専門的な言い方をすれば運動痛と自発痛ということであったわけである。

◆漢字の痛と疼の義もおおよそそのような意味をもっているようで、疼痛は運動痛と自発痛を区別せずに総称した術語になっている。実際的にそう厳密に区分する必要がない場合もあるということであろうか。

◆五十肩の夜間自発痛や坐骨神経痛の疼きはとてもやっかいなもので、動作や姿勢に関係なく(実際は姿勢は大きな要素なのだが)、安静状態で何もしなくても「ズクズク・ズキズキ・ズンズン」から「ダル痛くて切って除けたい」と何とも表現しにくい「疼き」である(私は「ダル病み」と呼んでいる)。

◆自発痛の原因については、たいていの場合「炎症」ということで片づけられる。確かに皮膚の化膿性炎症でズクズクと痛むのは大抵の人は体験済みであろう。膝の非化膿性関節炎の痛みの体験者も多いだろう。リウマチ性関節炎の自発痛も相当に辛いもののようである。

◆非化膿性の関節や筋の炎症には、抗炎症鎮痛薬やステロイドホルモンなどが使われ良く効くが、五十肩や坐骨神経痛の急性期の強い自発痛に対する効果にはやはり一定の限界があるようだ。もちろん鍼灸の効果もそう大きくはないけれど。

◆炎症の生化学的メカニズムはかなり詳細に解明されており、薬物研究の進歩も大したものであるけれど、古い歴史をもった生薬系の有効成分の研究から生まれたアスピリンやインドメタシンなどのような薬も未だに現役として大いに活躍しているからようだから何とも・・・

◆炎症でもそうであるけれど「自発痛」の生化学的メカニズムの究明に対して、機械的・物理的メカニズムの究明は「しつくされた」感があるのか通り一遍であるような印象がある(つまり治療に生かされる部分が少ないような)。(血行)循環障害というのがそれである。

◆五十肩の夜間自発痛について、骨髄内の圧力に着目した研究報告があった。1970年代のレポートでその後、整形外科の専門誌を追いかけていないのでどうなっているかよく分からぬが、教科書的な書物には「癒着性滑液包炎」が五十肩の自発痛の成因であるような書き方が普通のようである。

◆つい最近、長年疑問をもっていた「自発痛」の成因(物理的メカニズム)について考えさせられる非常に興味深い患者さんに治療させてもらう機会があった。

◆腎臓人工透析歴20年、10年前から透析開始後2時間ほどで右肩の肩峰の下方が腫れてきて「疼く」、非常な痛みである、それと前後して肩甲骨上部から首筋にかけて痛む(神経痛様のダル病み)。 痛みは透析後まで一定時間続く。肩関節部の腫れも翌日まで続く。 関節の可動域は正常で動作痛はない。 10数年前、実際に五十肩(凍結型)で夜間痛の経験もあり、「凍結解凍」に1年半ほど要した。

◆長年透析をしている人には、関節周囲や関節内に「何かが溜まって」結節状をなすことあるらしい(アミロイド・タンパク?)。透析中に肩関節周囲が痛む方も少なくないらしい。

◆肩関節部の腫れは、その消長経過や発赤や熱感などの炎症症状がないことなどからも炎症性の腫脹とは考えられない。

◆人工透析は、透析装置に血液をバイパスするために前腕の皮静脈を使うことが多いらしい(シャント形成)。 透析された血液は静脈中を還流するから、腕部の静脈圧は上がり皮下リンパ流も増加して圧力も高まっているはずである。 透析も仰臥位ではなく座位の方がより楽である。

◆この患者さんの肩の腫れは透析翌日の初回治療時にも見られたが、鎖骨下・大胸筋部と腫脹部の皮下刺(1ミリ前後)で30分ほどの治療後には半減してしまった。

◆肩の腫脹部の近位端(より体中心に近い方)から腕にかけて冷やす、胸から肩首にかけて暖める、と透析中の養生をアドバイスする。効果の程はまだ未知数。

◆腫脹部への流入量を減らし(皮下静脈を縮めリンパ流を抑制る)、流出量を増やす(皮下静脈を広げリンパ流を促進する)、という単純な考え方だけれど、本当はコロンブスの卵ではなかろうか。

◆この患者さんの透析中の肩部の腫れと自発痛は、透析中に同部へのリンパ還流量の増量が、五十肩・凍結型の既往によって何らかの機能低下を引きずっている肩関節周囲の包状組織に貯留し腫脹させ、組織内圧が異常に高まってしまったことがその物理的要因ではないだろうか。

◆還流系(静脈・リンパ)の障害による組織内圧の高進状態が、「自発痛」を発生させている「傷害状態」ではなかろうか、という仮説。

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風呂上がりの坐骨神経痛の増強に「打ち水」が効果的なケースから考えられること (2001/11/12)

腰椎仮性すべり症による坐骨神経痛と診断されている60代の女性。 普段の歩行でも跛行(ビッコをひくこと)する。炊事の立位継続も30分ほどで休息を要する。

近くの温泉によく行くが、入浴中は痛みがかなり軽減して気持ちがよいが、帰宅する頃になると「ダル病み」が非常に強くなり、数時間続く。

従来から、坐骨神経痛の養生の原則として風呂は短めにと言われている。 暖まっていると痛みは和らぐが、冷めてくると痛みが増強する、と言われてきた。 「坐骨神経痛では風呂は短め」が何故なのか、理論的な説明は私の知っている範囲ではあまりなく良く解っていないようである。

温泉を上がるとき、冷水を臀部から脚にたっぷりと「打ち水」してはどうかと勧め、その結果、湯上がり時の神経痛の増強はほとんどなくなる(もっとも、治療の成果があがっており神経痛は半減していたが)。

ずっと昔、馬尾神経障害(脊椎の中が何らかの理由で狭くなって下肢を支配する神経が圧迫されて起こると考えられている)の外科手術所見の報告を読んだことがある。 神経の束の表面を走っている静脈が強く怒張(腫れ膨らむ)していた、との記載が印象に残っている。

神経痛の要因は様々である(神経痛の項参照)。神経の圧迫・絞扼、炎症、循環障害など言い尽くされているように思うが、実際の治療を考えるときに役に立つほどその機械的・物理的メカニズムは解明され尽くしていない。

比較的太い神経の束の中を栄養する血管には動脈系も静脈系もあるわけで、傷害状態となっている部分でのその「循環障害」の実態はどのようになっているのか、それが本当に知りたいことである。

脚が暖まってより多くの動脈血が末梢に循環すると、還流系である静脈やリンパもより多くの還流量が流れ込むわけで、その時に還流機能の相対的な機能低下がある部位の遠位端の血管や組織は怒張し内圧が高まるのではないか、それが神経痛の増強ではないか、という仮説。

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神経痛に対するお灸の効果 (2001/11/12) 

友人でご同業で思想家のM先生は、お若いとき発症した腰椎椎間板ヘルニアで重症の根性神経症状に苦しまれ、那珂川町のM先生のお弟子に手術を受けられる寸前で鍼灸に出会いこの道に入られた。

今でも「色々」と無理をすると腰痛や坐骨神経痛が出て辛いようで、灯油缶もご自分では運ばない運べない。
M先生は、お灸が大好きな「体験的お灸信奉者」である。
      
坐骨神経痛では、脚部の動脈系の循環が促進されるとかえって痛みが増強し、静脈系の機能促進で痛みが和らぐ、という前項の仮説が正しく、皮膚表面を焼灼 する灸がそのような病態に効果的であるとすれば、お灸は還流系の機能を改善することでその効能を現しているということができる。
ここまで辻褄が合ってくるといろいろな現象に合点がいく、と一人合点している。

      
神経痛や非炎症性自発痛の養生原則

「傷害状態」となっている部位の近位・中枢側(より身体中心に近い方)の端を境にして、遠位・末梢側は冷やす、近位・中枢側は暖める、という養生法はこれらの病症に想定する物理的メカニズムの仮説の理屈にかなっている。

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鍼灸の理論的支柱にある「経絡」は水利工学的発想 (2001/11/12)

鍼灸治療の理論的支柱となっている考え方に、「気血」の流れるルートとして経絡というものが考えられており、その経絡(の流通)の障害が病の本にあり、その流通の障害をまた経絡を利用して癒す、とされている。

「経」は縦方向に流れる本流、「絡」は横方向に流れる支流である。

よく知られているように。古代中国文明の発展は、水利による農地灌漑と防災、水運による物資と人の流通が大きな基盤となっていた。 研究者によれば、水利工学的発想が「経絡」理論の中心をなすという。

神経痛などの成り立ちの考え方や養生原則に水利工学的発想を加味すれば、前項のごとくである。なるほど、と今更ながらに感心している。

  ①往流系(動脈系)を動かすには「深く刺す鍼」を、
  ②還流系(静脈・リンパ系)を動かすには「浅く刺す鍼とお灸」を、

「水門」や「ポンプ場」であるツボに加える。 という風に、鍼灸経絡治療を考えることもできるようである。

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プール鼻炎他 (2001/11/12)

◆11年来、喘息と馬尾神経痛(主に臀部の痛み)で診ている○さん。
MRIの所見を7年前と比較すると脊柱管の狭窄がひどくなっている、とのM先生の診断。
骨そしょう症の薬物・食事治療を行ってきたわけでもないけれど、骨の密度は7年前よりも10%は改善している。

◆びっくりするほど背骨が左に側彎した×氏。 まだまだ側彎は残ってるものの日常生活上の障害は軽減しつつある。しかし、なかなかひどい側彎だ。  

◆プール鼻炎の女性。 クイックターンの練習をすると、鼻に大量の水が入ってしまいやすく、ひどいときはその場で頭痛すらしてくる。 だから私はクイックターンなんぞしない(春先などはそうでなくともスイミングの翌日の午前中はズルズルの鼻炎状態でひどいときには熱感すらするものだ)。 水泳後に鼻の粘膜を微温塩水で「鼻うがい」などをしておけば、翌日の鼻炎症状は軽くなるが、なかなか面倒でしない。 一種の刺激性カタル性鼻炎で、アレルギー性鼻炎とほとんど同様な鼻粘膜の病態だろう。 この女性、スイミングの上達が著しいプール同級生。 メキメキと上達するものだから何でもチャレンジされて、それでクイックターン。 水泳後当日翌日の鼻炎状態は中程度と評価できるが、やはり午前中はかなり酷いらしい。 合谷(親指の又の部位)、印堂(眉間にある)、それと耳鍼ツボ(対耳珠のふもとあたりの部位)への皮内針で4日ほどは症状が改善する。 しかし、はやくクイックターンをマスターして鼻に水が入らぬようにしないと。

◆イアン・ソープにあこがれる水泳選手△君。 ソープの泳ぎの水中ビデオを見てキックのしなやかさの大切さを痛感している。 足首の柔らかさは、ふくらはぎ(そして脛)の筋肉の硬さ・緊張度に依存する。 小生は昨年の腰痛坐骨神経痛(中位のヘルニア持ちなので)以来、ふくらはぎの握圧法を編み出し実践しているため足首の柔軟度が高い。おかげで、ビート板キック25メートルでは最初の一本だけなら!選手コースの中くらいのタイム18秒が出せるまでになった。 自分自身でスポーツを継続的にやるようになって、運動は「しなり」だという実感を持つようになってきた。 筋力パワー、瞬発力、スタミナがスポーツの基礎三要素だろうが、違った見方をすれば「しなり」こそが最も大切ではないか。 水泳で言えば、キック力は足首を中心とした脚の「しなり」、プル力(手のかき)は手首を中心とした腕の「しなり」、そしてスイム(コンビ)は、上肢と下肢の「しなり」が腰を中心とした胴体の「しなり」でコンビネーションされて実現されるのだと思う。 プル力の強化は、手首を中心とした腕の「しなり」を強化することにあり、前腕の内側と上腕の後ろ側の鍼と握圧法とストレッチでそこの支持系筋群を柔らかくすることが第一歩だ。 あと一年、関門海峡は越えられるか!  

◆脳疲労の警告信号と回復する睡眠 睡眠の時間ではなく、睡眠の質が問題である。 中高年の特に男性のめまいや耳の問題は、とにかく脳疲労を回復するような良質な睡眠をたっぷりととることだと考えている。 天柱から完骨というツボの領域(後頭部「ぼんのくぼ」から耳の後ろの骨の高まりの際)に緊張・しこり・圧痛・違和感などを脳疲労の警告症状部位としてとらえることができる。

※「脳疲労」という言い方は、九州大学の藤野先生の用語。

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2014年10月 5日 (日)

側彎の×氏他 (2001/11/05)

◆びっくりするほど背骨が左に側彎した×氏。 これほど見事な疼痛性側彎の方は久しぶり。C病院のMRIでも特に問題がないと言われ、ここ一ケ月も体がひん曲がって家でも職場でも大うけしていると苦笑されているが、触診で腰椎三番目あたりを探ると背骨の左側縁に強い圧痛とわずかな変位があり、拳で狭い範囲の背骨を叩打すると飛び上がらんばかりの痛みがある。三番目の椎間の左側に何らかのトラブルがあるはずだけれど、なんでXPでもMRIでも解らんのだろう。良く聞くと触診らしい触診はなかったとのこと。 ごく一般的には、椎間板の右側にかかる圧力を回避する反射が左側彎だろうが、氏の場合は矛盾している。

◆11年来、喘息と馬尾神経痛(主に臀部の痛み)で診ている○さん。 脚の筋力がだいぶ低下している。特に太もも。間欠性跛行(一定の距離・時間歩く・立つと、歩行と起立に難儀し休息で回復するような状態)もここのところ少しずつ強くなっている。 これまでの10年あまりの間でも同様に症状が強くなった時期もあり、今回もそのような悪化の波の頂点とも思えるが(希望的観測or思いこみ)、M先生の所で6年ぶりにMRIを撮ってもらうことになる。  

◆高校生の頃から診ている社会人3年生の△君。 下肢伸展挙上も30度で強陽性、しっかりと根性神経痛の様相が出ている。もうすぐ結婚するとのこと。しっかりと飛陽(ふくらはぎの中央外側で母趾側の神経症状が出る場合の特効穴)を揉むように。 神経痛の鍼灸治療の理屈は矛盾が大きいけれど、自分の体験からも、足首の関節の柔軟性にも関係するふくらはぎの深部の神経刺激点や筋肉の硬さを改善しておくことは腰痛養生の基本だと信じているのだが。 (私自身は、小趾側の神経症状に対応する外側のすねの附陽が「だる病み」に効果的だ。)

◆NHKの朝の番組で、膝痛を特集した公開放送の中で、レスラーみたいな立派な体格の理学療法師の先生が小生の「ふくらはぎ理論」もどき を紹介していた。思わずしっかりと見た。 「足首をくるぶしの上でしっかりと固定し、足首の関節を柔らかく数回ゆっくりと回す」と、膝痛の予防と治療に効果的との説明。 なかなかいい線を突いているけれど、ふくらはぎ深部の筋肉を支持系筋群として捉え、それと足首の関節の動的な柔軟性との関係、さらにそれが膝関節の動的安 定性に大きな役割を果たしていること、同深部筋群の握圧法を評価していないこと、などなどまだまだ足りないな、と思った。要は観察力と考える力じゃなかろ うか。

◆70歳にして四十肩に悩まされている○さん。 腋の下の後ろの壁を形づくっている筋肉や腱が硬く縮こまっている状態と捉えている四十肩は、上腕部の支持系筋である三頭筋(力こぶを作る筋肉の裏側)の握圧痛の改善が治療の目安だと考えている。 手首上の外関や内側のゲキ門、それと三頭筋そのものが握圧法の基本治療部位。それらの部位の自己マッサージあるいは握圧法がかなり効果的。ただ、これだけで効果的すぎると商売あがったりで困るけれど。

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2014年10月 3日 (金)

東洋とアラブ (2001/11/03)

アジア諸国では、広島・長崎は当然の報いといった印象なのが、東南アジアのイスラム社会を除いた中東イスラム圏では強い同情の対象となっているという不思議は、欧米白人の文明に蹂躙され圧倒され続けている彼らの心情からすれば当然なのか。
「広島・長崎の報復を果たせて溜飲が下がっただろう」とエジプトの街頭インタビューで語つていたオジサンは、9.11WTCテロをそう評価していた。
私たちが忘れてしまっている日露戦争と大日本帝国の世界史的意味の亡霊が生きている場所がある。

彼らとは違う世界を生きてきたはずの私たちの周りにも、心の中で「ザマ一みろ」と喝采をあげた人がいる、とも言う。彼らは、アラブ・パレスチナへの心情的シンパシーとは違つた次元で反応していると陰で語っているらしい。本当かな。

「風とライオン」でショーン・コネリ-が演じていたアラブの一部族長の示したプライドは、イングランドにやられたスコツトランド人コネリーのプライドであるが、そんな部族的プライドが戦争と暴力の源にあるというのは本当だろうか。

江戸中期、我々の祖先は「シナ」の文化・文明から独立すべく「国学・和」のプライドを見つけだし、欧米-西洋と対峙した時に「東洋」というプライドをつくりあげ、大東亜の戦でそれは粉々に砕かれた。「東洋」は、日本でだけしか通用しない文明概念として死語となった。

イスラムは一種のグローバリズムであるらしい。そこに統合されている部族的集合も複雑多岐であって、アラブ、トルコ、ぺルシャの大集合はそれぞれにヨー ロッパを睥睨凌駕した世界帝国の時代を持つている「名門・名家」であった。
ヨーロッパは田舎者、イギリス、口シアに至つては「ど」がつく田舎者、というこ とになる。
現代の米国的グローバリズムに没落名家プライドが反応してしまうということはないだろうか(中国と朝鮮の日本観の根底にも少し似たところがあり そうで、親子の子、兄弟の末弟の田舎者と、侮つてみたい旧名門的プライドがありはしないか)。

古代ローマ・ギリシャへの憧憬が中世イタリアの、 イタリアへの憧憬がドイツの、ドイツへの憧憬がロシア-スラブの、大陸への憧憬がイギリスの、ヨーロッパへの憧憬がアメリカの文化形成の原動力になった、みたいな単純化された継承関係を想定すれば、中世イタリアが憧れた古代ローマ・ギリシャは当時のアラブ世界そのものであったらしい。

不思議なことに、カルチャーとサブカルチャーの関係を考えれば上述の継承関係が逆転したりするらしいから、プライド形成のダイナミズムはやっかいなことだ。

そこで問題なのは、人が部族的プライドをどうしても欲しがってしまうことにありはしないだろうか(もちろん、部族的に止まらず個たる自己にまでそれは微分されてしまうことでもあるが)。

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