主権と連邦 (2001/11/19)
アフガン戦争も終息しつつあるようで、大方の見方は「以外と崩壊が早かった」というところのようである。官軍の勢いの前で、雪崩れうったような勝ち組入りと、バスからの途中下車組の存在は、イスラム・アフガン世界も、やっばり似たり寄つたりの人間社会だったということなのだろう(本当は、この戦後こそが難儀なはず)。
かの大戦のおりも、アメリカでは野球に興じ、日々敵を追いつめてい戦況を、今度のような実況まではなくとも詳細に報道しており、人々は例えばいま私がテレビや新聞でアフガンの戦況などを見聞きするように、日本との戦いに興味を示していたのだろうなと思われる(身内が戦つている人はもちろん違ったであろうが)。
ビンラディンの人徳が足りなかったのか、アラブ=イスラムということでなかったのか、西南の役ほどの拡がりは得られず、結果としては佐賀の乱どまりで薩長アメリカ「新政府」の前では無力であった。西郷さんほどの「減びの美学」があったらとは野次馬的だが、パレスチナ国が夢のまた夢とでもなれば、本当は「減びの虚無」の真実性が逆にリアルになってきているとはいえまいか。全てを道連れに滅びることを至上とするテロの安全装置は外され、引き金に手がかかっているのではないかと妄想してしまう。
いわば緩い連邦制にあった江戸日本は、藩と武士の「主権」を新政府に委譲した連邦、明治日本になったなどと素人考えをしていると、南北戦争によって連邦としての合衆国アメリカが成立したこともなるほどと思つてしまう。個人の武器所有という「カウ
ボーイの主権」まではとりあげていないところが、偉大な島国たるアメリカの真骨頂なのだろうが。
薩長アメリカの主導の元に、「国民国家の主権」
はなし崩しとなり、「国際合意」の元に統合された。もちろん錦の御旗・大義名分は十二分にある。五三番目か五四番目かの飛び地の州が日本であったりアフガ
ンであったりパレスチナであったりする、ことはないのけれどもそれでも「いじゃん。外交、国防、中央銀行は「民主的」に選出された大続領に率いられる中央
政府にお任せして、州法の自治範囲で内政がうまく行けば。そうなると法の下にダブルスタンダードはなしの公平平等が建前となって、民族浄化まがいの入植政策もとれなくなってしまうれど。
権力の本質は暴力ではなく「合意」であって、合意形成を優先するわれわれの風土の先進性も本当はもっと理解されてよいのかも知れない。むき出しの暴力もあれば王様の妥協もあるということも身をもって学習される機会でもあったのだろうが、大いなる島国が妥協と合意の道を歩み出すには、もっと波乱を必要としているのかも知れない。
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