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2014年10月 3日 (金)

東洋とアラブ (2001/11/03)

アジア諸国では、広島・長崎は当然の報いといった印象なのが、東南アジアのイスラム社会を除いた中東イスラム圏では強い同情の対象となっているという不思議は、欧米白人の文明に蹂躙され圧倒され続けている彼らの心情からすれば当然なのか。
「広島・長崎の報復を果たせて溜飲が下がっただろう」とエジプトの街頭インタビューで語つていたオジサンは、9.11WTCテロをそう評価していた。
私たちが忘れてしまっている日露戦争と大日本帝国の世界史的意味の亡霊が生きている場所がある。

彼らとは違う世界を生きてきたはずの私たちの周りにも、心の中で「ザマ一みろ」と喝采をあげた人がいる、とも言う。彼らは、アラブ・パレスチナへの心情的シンパシーとは違つた次元で反応していると陰で語っているらしい。本当かな。

「風とライオン」でショーン・コネリ-が演じていたアラブの一部族長の示したプライドは、イングランドにやられたスコツトランド人コネリーのプライドであるが、そんな部族的プライドが戦争と暴力の源にあるというのは本当だろうか。

江戸中期、我々の祖先は「シナ」の文化・文明から独立すべく「国学・和」のプライドを見つけだし、欧米-西洋と対峙した時に「東洋」というプライドをつくりあげ、大東亜の戦でそれは粉々に砕かれた。「東洋」は、日本でだけしか通用しない文明概念として死語となった。

イスラムは一種のグローバリズムであるらしい。そこに統合されている部族的集合も複雑多岐であって、アラブ、トルコ、ぺルシャの大集合はそれぞれにヨー ロッパを睥睨凌駕した世界帝国の時代を持つている「名門・名家」であった。
ヨーロッパは田舎者、イギリス、口シアに至つては「ど」がつく田舎者、というこ とになる。
現代の米国的グローバリズムに没落名家プライドが反応してしまうということはないだろうか(中国と朝鮮の日本観の根底にも少し似たところがあり そうで、親子の子、兄弟の末弟の田舎者と、侮つてみたい旧名門的プライドがありはしないか)。

古代ローマ・ギリシャへの憧憬が中世イタリアの、 イタリアへの憧憬がドイツの、ドイツへの憧憬がロシア-スラブの、大陸への憧憬がイギリスの、ヨーロッパへの憧憬がアメリカの文化形成の原動力になった、みたいな単純化された継承関係を想定すれば、中世イタリアが憧れた古代ローマ・ギリシャは当時のアラブ世界そのものであったらしい。

不思議なことに、カルチャーとサブカルチャーの関係を考えれば上述の継承関係が逆転したりするらしいから、プライド形成のダイナミズムはやっかいなことだ。

そこで問題なのは、人が部族的プライドをどうしても欲しがってしまうことにありはしないだろうか(もちろん、部族的に止まらず個たる自己にまでそれは微分されてしまうことでもあるが)。

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